日本百観音順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

【坂東②第一番】大蔵山 杉本寺 (杉本観音) その二

宗派 天台宗
本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 頼みある しるべなりける 杉本の 誓ひは末の 世にも かわらじ
248-0002 鎌倉市二階堂903
公式サイト https://sugimotodera.com
公式Instagram https://www.instagram.com/sugimotodera/



大蔵山 杉本寺 (杉本観音) → その一 






さて、日本百観音順打ち達成の為、
坂東三十三所音霊場、
二巡目順打ちの初日の旅に出かけます。
朝7時40分に習志野市内の自宅を出発。
船橋市内の実家で母を迎え、
谷津船橋ICより東関東自動車道にのり、
そのまま首都高湾岸線から、
横浜横須賀道路に乗り継いで、
朝比奈ICで降りました。



ショウワパーク浄明寺3丁目のカローラツーリング



第一番の杉本寺には、
駐車場がありませんので、
山門の東にあるコインパーキング、
ショウワパーク浄明寺3丁目に駐車したのは、
午前9時20分。
鎌倉霊園周辺がお彼岸で大渋滞だったので、
1時間40分かかりましたが、
空いていれば1時間ちょっとで着く行程です。
カローラツーリングの後ろに見える山が、
杉本寺なんですが、更にその背後には、
杉本城という古城があったんだそうです。




杉本寺門前



さて、18年ぶりの杉本寺です。
前回とは異なり山門前の受付で、
拝観料300円を支払います。




杉本寺伽藍復興大歓進ご案内  杉本寺の案内




天平六年(734)光明皇后の御願により、
藤原房前行基菩薩により建立されたこちら。
本尊は天平六年(734)行基菩薩作、
仁寿元年(851)慈覚大師円仁作、
寛和二年(986)恵心僧都源信作という、
オールスターの三体の十一面観音。
鎌倉時代に火災が起きた際に、
御本尊三体自ら境内の大杉の下で、
火を避けられたそうで、
「杉の本の観音」が、
現在の寺号となった由縁だそうです。
しかし『吾妻鏡』によれば、
中世には大倉観音堂と呼ばれ、
文治五年(1189)の火災時には、
別当浄台房が炎の中から、
本尊を持ち出したと記されています。
同書には建久二年(1191)、
源頼朝が参拝し、
修理料を寄進した際に、
御前立の十一面観音菩薩像を、
寄進したとも記されています。




茅葺屋根葺き替え中の仁王門  仁王門茅葺き屋根葺き替えについて



江戸時代中期頃の建立の仁王門は、
茅葺屋根葺き替え中。



金剛力士吽形  金剛力士阿形



仁王門の金剛力士像は、
運慶作ともいわれていますが、
作風的に私はちょっと微妙に思います。



弁財天



山門を出てすぐ右側には
弁財天を祀る弁天堂があります。



苔むした石段  苔むした石段



杉本寺のシンボル的な役割を占める、
苔をむした石段は登ることは出来ません。



左側の石段



左側の石段を上ります。



本堂  本堂正面



観音堂(本堂)は寄棟造の、
茅葺・方五間の仏堂で、
延宝六年(1678)の建立。
堂内は写真撮影禁止ですので、
拙い文章でご想像下さい。
堂内まず本尊前立として、
源頼朝の寄進で運慶作といわれる、
十一面観音像があります。
脇立は作者不詳の不動明王
宅間法眼作といわれる毘沙門天
もうこれだけでも凄いんですが、
その奥の格子度の奥に、
前述の御本尊三体。
通常は遠くから僅かに覗くのみですが、
毎月一日と十八日に開帳されるんだとか。
向かって右は、
伝・恵心僧都源信作とされますが、
実際は鎌倉時代の作。
中央は伝・慈覚大師円仁作で、
これまた鎌倉時代の作。
この二体は国指定重要文化財
向かって左は伝・行基作とされ、
平安時代末期の作と推定されます。



本堂裏手の本尊収容部分



本堂を出て、格子戸の先を、
外側から確認してみると、
まるで神社の拝殿と本殿のように、
鉄筋の収蔵庫らしき建物が、
奥に接続して建てられた状態。
ここに御本尊三体が安置されているようです。



五輪等群  


本堂右手前には、
杉本城の戦いで戦死した、
斯波家長と一族の供養塔とされる、
石塔群があります。



石造地蔵尊群



石塔群の左手には、
石造の六地蔵と、
大きさと作風の異なる地蔵が、
計七地蔵並びます。



鐘楼



鐘楼は特に文化財の指定はないようです。



境内の芙蓉  杉本寺からの景色






第一番御朱印



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