西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

【西国番外】豊山 法起院 〜西国三十三所開基徳道上人御廟所〜

宗派 真言宗豊山派
本尊 徳道上人
ご詠歌 極楽は よそにはあらじ わが心 おなじ蓮の へだてやはある
633-0112 桜井市初瀬776
公式サイト http://www.houkiin.or.jp




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法起院



さて、午後4時を過ぎておりますが、
長谷寺を道明上人とともに開山し、
西国三十三ヶ所を開基した徳道上人が、
晩年隠棲したとされる法起院は、
西国番外札所となっていて、
長谷寺の門前にある豊山の子院です。
車を長谷寺駐車場に停めたまま、
歩いて行ってみました。




山門  由緒書




以前、何度か触れており、
下記の記事にも書きましたが、
そもそも日本における、
最古の巡礼霊場であり、
観音巡礼の元祖でもある、
この西国三十三所観音巡礼は、
養老二年(718)、
大和長谷寺の徳道が亡くなり、
地獄で苦しむ亡者の姿を見ました。
徳道は、閻魔大王から、
観音巡礼をすれば、
地獄に堕ちないという誓願を得て、
三十三の宝印を受けます。
生き返った徳道は、
巡礼の功徳を説こうとしますが、
まだ機が熟しておらず、
その宝印を中山寺に納めました。
更に時は過ぎ永延二年(988)、
花山法皇熊野権現の神託により、
河内石川寺の仏眼を先達とし、
性空とともに観音巡礼を復興したのが、
この西国三十三所観音霊場なのです。
その徳道上人が晩年を過ごし、
御廟所でもあるのがコチラなのです。






本堂(開山堂)  徳道上人像




ご本尊は上人自刻とも伝わる徳道上人像。
香煙でくすぶって
茶褐色になられていますが、
上人のお姿を想像出来ます。


境内左手  徳道上人御廟




境内左手には、
晩年松の木に登り法起菩薩となって、
遷化したといわれる際に、
沓を脱いだ「上人沓脱ぎ石」と、
上人御廟十三重石塔があります。



十三仏石塔と西国三十三箇所御砂踏み



十三重石塔の周囲は、
西国三十三箇所御砂踏みとなっています。




番外御朱印




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