史跡・記念碑
東海道五十三次・旧東海道を自転車で日本橋から京都まで走ろうということになりまして、初回の今回は日本橋から平塚宿まで走りました。
東京湾フェリーで久里浜に到着後、まずは横須賀方面へ。ヴェルニー公園で護衛艦いずも等を見学後、記念艦三笠のある三笠公園にやって来ました。
今年のチャリの走り納めデス。3月下旬に走った「小湊鐵道全駅制覇サイクリング」の続きをやろうということになりました。「いすみ鉄道全駅制覇サイクリング」デス。
第14回 眉鍋組遠征【ひたちなか・大洗】。ラーメン二郎ひたちなか店の後は、国指定史跡の虎塚古墳を訪問しました。
皆様ご無沙汰しております。北海道ツーリングから帰宅して真っ白に燃え尽きたままで、通常のブログ更新も休止しておりますが本日どうにか北海道ツーリングのブログ記事が完成しました。ご笑覧頂ければ幸いデス。
帯広から無料の高速道路を利用して忠類に出て広尾町を通過して、北海道最南端の襟裳岬に到着しました。
知床半島・羅臼から泊湾・標津町を経て根室半島・納沙布岬に向かう途中、泊湾にまるでおできのように突き出ている野付半島の突端まで進んでみました。根室半島の東端、納沙布岬にある北方領土資料館に着いたのは午後5時05分です。
宗谷岬、日本最北端に到着しました。間宮林蔵の大きな銅像があります。宗谷丘陵の白い道を走り、日本最北端給油所で給油して証明書と記念品を頂きました。
間宮林蔵顕彰碑から国道238号線に戻り、国道沿いの間宮林蔵渡樺出港の地に到着しました。正直言えばワタシは日本最北端の地よりも訪れたかった場所です。
利尻島から稚内も戻りまして、稚内駅で最北端証明書を頂戴した後、国道238号線で宗谷岬を目指します。途中、脇道にそれて間宮林蔵顕彰碑に立ち寄りました。
大多喜町から勝浦市をかすめて鴨川市内に出ました。海岸線から内陸に戻り今回ワタシがどうしても行ってみたかった曾呂尋常小学校分教場にやって来ました。
アパホテル新潟古町をチェックアウト後、バイクを駐輪場に置いたまま、万代橋を徒歩で渡ってバスセンターのカレーを食べに行きました。
本来、瑞鳳殿から仙台城跡・青葉山公園はすぐ近くなんですが3月の地震で石垣が崩れ通行止めでぐるりと大きく迂回しなければ本丸跡には行けません。八木山と呼ばれている南西方向の山間よりどうにか本丸跡にやって来ました。
間宮林蔵記念館。展示室は複製品ばかりですが、書簡や作成した地図が展示されています。生家は元々はここから南西約50mの位置にあったものを、規模を少し小さくして移築・復元したものです。
間宮家の菩提寺である専称寺にやって来ました。江戸の墓のある本立院は日蓮宗の寺院ですがこちらは浄土宗のお寺です。この墓は林蔵29歳文化五年(1808)に樺太出発前に死を覚悟して自ら建てたものです。
間宮林蔵の江戸の墓が江東区平野にあると知り通勤途中に少し足を伸ばしてお参りしました。
さて、香取神宮から銚子方面を目指して走ります。男には何もないと分かっていても行かねばならない時があります(笑)。何もないと知ってはいたもののやはりどうしても来たかった関寛斎ゆかりの地・銚子編。
恒例のゾウとMatt.Jさんとのチャリ活・2021・秋の部デスが、利根川と桃ノ木川・広瀬川を結ぶ「高崎伊勢崎自転車道」をやろうということになりました。折角、前橋に行くからにはもちろんラーメン二郎前橋千代田町店に行ってみます。
ランチの後は入四間町から大煙突を横目に見て日立駅を目指しました。
関神社跡参詣後、最後は関農場跡にある関夫妻埋葬の地にお参りしました。
関寛翁辞世歌碑の次は国史跡ユクエピラチャシ跡にある関神社跡に参詣します。
関寛斎銅像を見学後、正見寺にある関寛翁辞世歌碑を訪ねました。
関寛斎資料館の次は駅前多目的広場の銅像を見学します。
念願の陸別・関寛斎夫妻ゆかりの地探訪。まず最初は関寛斎資料館です。
さて最後はバイク乗りのインスタ映え人気スポット「燈籠坂大師の切通しトンネル」を訪ねました。
ライダース神社(八街神社)参拝のソロプチツーリング。行きは途中でおなりみるく工房のアイスを食べて、帰りは麻布菊園で御成わらび餅をお土産に買いました。
伊豆大島をサイクリングで一周します。五年ぶりの伊豆大島。今回のチャリは久しぶりに登場のアンカーRS8です。
東金・関寛斎ゆかりの地プチソロツーリング。五ヶ所目は、関家=製錦堂学校のあった跡を探しました。現在は君塚家になっていました。
東金・関寛斎ゆかりの地プチソロツーリング。四ヶ所目は関家・君塚家の菩提寺、常覚寺にお参りします。関寛斎の養父・素寿の碑もあります。
東金・関寛斎ゆかりの地プチソロツーリング。二ヶ所目は東金市内を東へ向かい関寛斎の生家、吉井家に向かいました。