そば茶屋 信州庵 ホワイティ梅田店

営業時間 10:30〜22:30
定休日 奇数月第3木曜
530-0018 大阪市北区松原町梅田地下街4-4




そば茶屋 信州庵 ホワイティ梅田店  




今回、楽しみにしいてたのは、
この蕎麦食べ放題コースのあるという、
そば茶屋・信州庵・ホワイティ梅田店。
午前ちうの梅田のアポを終えてから、
いそいそと訪問致しましたが、
実は朝の朝食バイキングを、
かなりがっつり食べてしまっていて、
あんまりお腹が減っておりません。(;_;)





店頭のサンプルメニュー  店内



どうやらとても人気店のようで、
お一人様でも、
入り口で何分か待たされました。




メニュー  季節のおすすめ




さて、何を食べようかな。
やっぱり食べ放題メニューを選んでしまうワタシ。




初夏の万福天ざる(900円)





初夏の万福天ざる(900円)。





てんぷら  蕎麦五枚分




天ぷらはサクサクの揚げ立てです。
そばは五枚分でもう充分って感じ。。。




蕎麦湯を注ぐ  蕎麦湯





やっぱりここも大阪の蕎麦独特の、
不思議な風味と味わいなんだよなぁ〜。

安居神社 〜真田幸村戦死跡之碑・真田幸村像〜

祭神 少彦名神菅原道真
543-0062 大阪市天王寺区逢阪1-3-2




通天閣




午後に天王寺区の法人とアポがあり、
初回の出張以降一年ぶりに、
通天閣の下に参りました。



安居神社  安居神社縁起



こっち方面に来たからには、
絶対お参りしたかったのは、
この安居神社です。
こちらも昨日の薬の神様と同様に、
少彦名神と、天神様こと、
菅原道真公を祀る神社ですが、
参拝者のお目当てはそればかりではないのです。



真田幸村戦没地碑  境内案内



こちらは真田幸村こと、
真田信繁の最期の地として有名です。
大坂の陣で徳川家康を、
二度ギリギリまで追い詰めたものの、
力尽きこの境内の松の下で休んでいるところを
松平忠直の鉄砲組頭の西尾宗次に発見され、
「わしの首を手柄にされよ」と告げて、
討ち取られたとされています。



拝殿と真田幸村像  真田幸村戦死の地




しかしここはどうみても高台で、
戦略上の拠点のような場所なので、
敗戦の傷ついた将とはいえ、
天下の勇将が一人で休み、
たかが鉄砲組頭の雑兵なんぞに、
発見されるところとは思えない。





真田幸村陣歿の旧跡案内  真田幸村戦死の地案内




家康はこの時将軍職を、
秀忠に譲っているとはいえ、
まだまだ大御所現役で、
バリバリに元気だったのに、
この一年足らず後に、
ころりと亡くなっています。
昔は鯛の天ぷらの、
食中毒といわれていたものの、
今は胃がん説が有力です。
わずか一年足らずで、
当時七十過ぎの妖怪のような老人が、
胃癌でそんなにあっけなく死んじゃうかな。
本当はこの時、重傷を負って、
堺で亡くなっているという節もあるそうです。




真田幸村像  サナダ松





信繁は、家康に重傷を負わせて、
やり遂げた感でこの神社に休んでいたんじゃないかな。
さすがに当時の松ノ木は枯死してしまい、
今のものは植え直したものだそうです。




拝殿  本殿





そんな勝手な感想・想像を抱きつつ、
拝殿・本殿に二礼二拍手一礼して、
安居神社を後にしました。




絵馬




絵馬も祭神の神紋ではなくて、
真田幸村の六文銭なんですね。(^^;)

浪華茶臼山 堀越神社

祭神 崇峻天皇
543-0063 大阪市天王寺区茶臼山町1-8




→ 荒陵山 四天王寺 (金光明四天王大護国寺)





堀越神社  一之鳥居




安居神社のお参りの後、
こちらも気になっていた、
堀越神社にもお参りしました。
聖徳太子四天王寺を創建したと同時に、
その外護として造営された、
四天王寺七宮の一つで、
茶臼山のこちらは、
太子の叔父・崇峻天皇を祀っています。



拝殿  縁起




明治時代の中頃まで境内の南側に堀があって、
参詣者はこれを渡ってお参りしたことから、
この「堀越」という社名になったと言われています。
昔から「一生に一度の願いを聞いてくださる」と、
多くの信仰を集めておりましたが、
最近ではパワースポットとして、
再び人気を集めているとか。
でもあたしゃ、パワースポットっていう言い方が大嫌い。
元々地球上のすべてはパワーが満ち溢れていたはずで、
人間が汚してパワーを弱めてしまっただけに過ぎません。

坂松山 高岳院 一心寺 〜本多忠朝墓〜

宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
543-0062 大阪市天王寺区逢阪2-8-69
公式サイト http://www.isshinji.or.jp/




一心寺  





さて、本日最後の、
神社仏閣巡りはお寺です。
文治元年(1185)法然が、
四天王寺の西門の近くに、
小さな草庵を結び、
源空庵」と称して、
住んだという跡に、
慶長元年(1596)、
本誉存牟という僧侶が、
一千日念仏修法を行って、
この寺を再興したことから、
その一心称名により、
この一心寺という名となったとか。
大坂の陣でここに陣を置いた、
徳川家康が境内の坂にあった松を讃えて、
「坂松山」の山号と寺額を贈ったそうです。




一心寺仁王門  一心寺仁王門縁起



とても奇抜で現代的な山門に、
彫刻家・神戸峰男さんによる、
サンダ&ガイラにも似た阿吽の仁王像。



阿形  吽形




門前でベビーカーに乗った小さな赤ちゃんが、
この仁王が怖かったのか、
ひきつって号泣していましたけど無理もない。



本堂  本堂内のご本尊




境内にあった歴史のある諸堂は、
大阪大空襲で灰燼に帰し、
伽藍は戦後に再建されたものです。




本多忠朝墓  




また境内には、
この上総大多喜藩二代藩主、
本多忠朝の墓とされる、
巨大な五輪塔があります。





本多忠朝墓の案内  奉納されたしゃもじ




本多忠朝は深酒をした為に、
冬の陣で大敗を喫し、
家康に叱責されたことから、
これを取り返そうとして、
夏の陣で奮闘したものの、
討ち取られ、その死に際に、
「戒むべきは酒なり。
今後わが墓に詣でる者は、
必ず酒嫌いとなるべし。」
と遺言したことから、
「酒封じの神」とされ信仰されています。
墓域は梅田のかしく寺のかしく墓同様に、
禁酒を願う人々が奉納した、
しゃもじに囲まれておりました。





→ 光智山 (かしく寺) 法清寺 〜かしく墓〜






骨仏堂  





さて骨仏の寺とも呼ばれるこちらです。
昔から宗旨に関係なく納骨を受け入れ、
全国から集まったその納骨で、
嘉永四年(1851)から、
大きな阿弥陀仏を作り、
明治二十年(1887)以後、
十年ごとに一体骨仏を作っています。
大阪大空襲で、その骨仏も焼失しますが、
昭和二十二年(1947)に戦前の残骸もかき集めて、
第七期骨仏として再開、完成致しました。
今も年中無休で納骨を受け入れており、
十年分をあわせて、
骨仏が一体作り続けられています。




一心寺の猫 新世界