安居神社 〜真田幸村戦死跡之碑・真田幸村像〜

祭神 少彦名神菅原道真
543-0062 大阪市天王寺区逢阪1-3-2




通天閣




午後に天王寺区の法人とアポがあり、
初回の出張以降一年ぶりに、
通天閣の下に参りました。



安居神社  安居神社縁起



こっち方面に来たからには、
絶対お参りしたかったのは、
この安居神社です。
こちらも昨日の薬の神様と同様に、
少彦名神と、天神様こと、
菅原道真公を祀る神社ですが、
参拝者のお目当てはそればかりではないのです。



真田幸村戦没地碑  境内案内



こちらは真田幸村こと、
真田信繁の最期の地として有名です。
大坂の陣で徳川家康を、
二度ギリギリまで追い詰めたものの、
力尽きこの境内の松の下で休んでいるところを
松平忠直の鉄砲組頭の西尾宗次に発見され、
「わしの首を手柄にされよ」と告げて、
討ち取られたとされています。



拝殿と真田幸村像  真田幸村戦死の地




しかしここはどうみても高台で、
戦略上の拠点のような場所なので、
敗戦の傷ついた将とはいえ、
天下の勇将が一人で休み、
たかが鉄砲組頭の雑兵なんぞに、
発見されるところとは思えない。





真田幸村陣歿の旧跡案内  真田幸村戦死の地案内




家康はこの時将軍職を、
秀忠に譲っているとはいえ、
まだまだ大御所現役で、
バリバリに元気だったのに、
この一年足らず後に、
ころりと亡くなっています。
昔は鯛の天ぷらの、
食中毒といわれていたものの、
今は胃がん説が有力です。
わずか一年足らずで、
当時七十過ぎの妖怪のような老人が、
胃癌でそんなにあっけなく死んじゃうかな。
本当はこの時、重傷を負って、
堺で亡くなっているという節もあるそうです。




真田幸村像  サナダ松





信繁は、家康に重傷を負わせて、
やり遂げた感でこの神社に休んでいたんじゃないかな。
さすがに当時の松ノ木は枯死してしまい、
今のものは植え直したものだそうです。




拝殿  本殿





そんな勝手な感想・想像を抱きつつ、
拝殿・本殿に二礼二拍手一礼して、
安居神社を後にしました。




絵馬




絵馬も祭神の神紋ではなくて、
真田幸村の六文銭なんですね。(^^;)