秩父三十四ヶ所自転車巡礼準備中



→ 写経 その二十七 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地






写経三十四枚




さて今月末の二泊三日、
秩父三十四ヶ所自転車巡礼に向けて、
札所に納経する写経、
般若心経と十句観音経、
計三十四部は準備完了ですが、
現在その他もいろいろと準備ちう。




Google map 札所にラベル





Google mapにはログインして、
三十四ヶ所と納経所を★保存し、
1〜34のラベルを付けました。





坂東三十三ヵ所 秩父三十四ヵ所めぐり JTBキャンブックス

坂東三十三ヵ所 秩父三十四ヵ所めぐり JTBキャンブックス





十年前の坂東霊場巡礼中に購入した、
このガイドブックは、
秩父霊場も併せて載っておりますが、
如何せん情報が古過ぎる。




秩父三十四ヶ所札所めぐり 観音霊場巡礼ルートガイド

秩父三十四ヶ所札所めぐり 観音霊場巡礼ルートガイド




大きな書店で数ある中から、
内容を観ながら選んだのは、
大手出版社のものではなくコチラ、
ルートマップもとても詳細で、
記事もなかなか仏ヲタ好み♪





納経帖  




さて、納経帳(御朱印帳)ですが、
現地で入手するつもりでしたが、
別件で浅草に行く用事があったもので、
いつもお世話になっている、
浅草念珠堂さんにて、
この青バージョンを購入しました。
右の頁に御詠歌が載っていて、
速乾性の高い紙を利用したスグレモノ。



浅草念珠堂 ← 浅草念珠堂公式サイト







A4版の朱印帳  五冊の納経帳





これまで納経帳は、
江戸三十三ヶ所観音、
御府内八十八ヶ所
坂東三十三ヶ所観音、
関東三十六不動
に続いて五冊目ですが、
A4版のこんな大きな物は初めて!!





納札



それから今回、
こちらも初めて、
巡礼者の名刺でもある、
この納札を用意して、
住所・名前・年齢を記入しました。




半袈裟  





そして前々から欲しかった、
”巡礼者のネクタイ”である、
半袈裟(輪袈裟)を求めました。
夢の「いつかは四国」でも使えるよう、
宗派、霊場を問わない、
「般若心経」地紋を選びました。





笈摺





ここまでやったら、
当然、白装束ですが、
今回は自転車巡礼ですので、
下はレーパンですから、
せめて上着だけ、
袖無しの笈摺を用意しました。
ただ自転車乗車中は、
リュックを背負っているので、
残念ながらこの背中の書の、
南無観世音菩薩」は見えません。
本当は菅笠も被りたいんだけど、
ヘルメットがあるので無理です。
ん?、菅笠の内側にメットを括り付け、
無理矢理に装着してみようかな...。
風の抵抗があるからダメか。

セントル ザ・ベーカリー(CENTRE THE BAKERY) その六

営業時間 パン販売 10:00〜19:00
*食パンが完売次第終了
カフェ 10:00〜17:00(日・祝〜20:00)
ディナー18:00〜23:00(日・祝なし)
定休日 レストランは月曜日・祝日の場合は翌火曜日、
*パン販売は毎日営業
104-0061 中央区銀座1-2-1




セントル ザ・ベーカリー その → (四)




セントルベーカーリー





カレンダー通りの出勤で、
"暇疲れ"をしてしまったワタシ...。
今日は特に予定がなかったもので、
急遽、夏休みを一日取りました
たまには親孝行の真似事でもしようと、
実母に「どこかに行きたいか?」
と、聞いてみると、
「あの年越蕎麦のお店に行ってみたい!」
とのことです。
あ、恵み屋だね、お安い御用です。
「だったらあのパン屋も近いよ!」
とのことで、車を駐車場に停めて、
セントル・ザ・ベーカリーへ参りました。
思いの外行列は少ないデス。



カード  店内




それでも中には列が二つありまして、
母を外のベンチに待たせて、
角食パンを三ヶ申し込みまして、
相変わらず女性ばかりの、
アウェイ感バリバリの店内の行列へ。




工房内




工房内には絶えず、
パンを作り出す様子が見て取れます。




ゲットした角食パン三ケ  角食パン




わずか15分ほどで、
角食パンを三ヶげと致しました。
雨の日以外の最短時間だったかも...。

京橋 恵み屋 その百七十七

営業時間 平日11:00〜23:00(土11:30〜22:00)
定休日 日曜日・祝日
104-0031 中央区京橋3-4-3 三光ビル1F
公式ブログ http://blog.livedoor.jp/megumiya2001/
公式Twitter https://twitter.com/megumiyamaster
公式Instagram http://instagram.com/kyobashi_megumiya






京橋 恵み屋 その↓ 
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→ 京橋 恵み屋 その百四 〜大晦日の年越し蕎麦〜
→ 京橋 恵み屋 その百四十八 〜大晦日の年越し蕎麦 その二〜






京橋恵み屋




・・・と、いう訳で、
母、念願の恵み屋にやって参りました。
ワタシも一週間ぶりの訪問デスが、
休みの日に私服で来たのは初めてのこと。
さて母は食が細いのでとりま並盛を二枚頼み、
ワタシが適量以上を先に頂く方法を取りました。





ダッタン蕎麦【並盛350g】(500円)+恵み蕎麦【並盛350g】(500円)







ダッタン蕎麦【並盛350g】(500円)+恵み蕎麦【並盛350g】(500円)。






蕎麦湯  KK





やはり予想通りに、
江戸っ子の母も大満足の様子です。
しかしワタシはさすがに、
「並盛+α」ではちょっと物足りない...。
他の大盛の方の蕎麦の量を見て、
「うわっ、凄い量だねぇ...!!」
と、驚いていた母ですが、
スンマソン、
普段あなたの息子は、
あれよりも全然多い、
特盛を食べておりますデス。
m(_ _)m




高知のアンテナショップ  沖縄のアンテナショップ




さて食後、銀座・有楽町の、
アンテナショップをブラブラと、
買い物に付き合いましたが、
時間はまだ正午を過ぎたばかり。
「他にどこか行きたいところある?」
と聞くと、即答で出たのが、
深川不動にお参りしたい!」
とのこと。
これまたお安い御用デス。

成田山東京別院 深川不動堂 その六 〜石造燈明台〜

宗派 真言宗智山派
本尊 不動明王
135-0047 江東区富岡1-17-13
公式サイト http://www.fukagawafudou.gr.jp/




成田山東京別院 深川不動堂 その → 






成田山深川不動堂  本堂




さて成田山東京別院深川不動堂
実はワタシは近くに来れば、
ふらりと立ち寄って、
何度もお参りをしておりますが、
母は三年数ヶ月ぶりの参拝。
父を突然癌で亡くして、
半年余り過ぎた頃に、
仏壇の本尊を探す名目で、
ワタシが気晴らしに、
ドライブに誘って、
ここへお参りに連れて来た時、
護摩のあまりの迫力と荘厳さに、
涙が出るほど感動していたんだとか...。








ワタシもここの護摩と読経、
そして法螺貝に太鼓、
大好きだなぁ...。
自分の中の江戸っ子のDNAが、
魂を揺さぶられるのかもしれない。




さて何度か触れておりますが、
元々ここは成田山新勝寺の、
東京別院という扱いではなく、
富岡八幡宮別当の、
永代寺で行われた、
「成田不動出開帳」が、
深川不動堂の始まりになります。
神仏分離で永代寺は廃寺となり、
旧境内は、深川公園となりますが、
江戸っ子たちの不動尊信仰は、
全く止むことがなく、
明治十一年(1878)、
成田不動の分霊を祀り、
深川不動堂」として存続することが、
東京府により認められたものが、
この成田山東京別院深川不動堂なのです。





石造灯明台





説明版

江東区指定有形文化財(建造物)
石造燈明台 明治三十一年在銘 一基
      富岡一−一四 深川公園

 日清戦争(一八九四〜九五)の勝利を記念して、深川不動堂の境内南
東地に建てられました。明治二八年一二月に起工し、三一年七月に竣
工しました。高さ八三九.四cm、最大幅三七三.四cmの大きな燈明台で、
内部煉瓦造り、外壁には安山岩の石板が貼られています。設計及び
監督技師の佐立七次郎(一八五六〜一九二二)は、工部大学校造家学科
(現東京大学工学部)の第一期生でジョサイア・コンドルに師事した日
本近代建築家の一人です。成田山新勝寺にもほぼ同形状の燈明台(明治
二七年竣工)が現存します。
 外壁には奉納者・奉納団体が刻まれた石板が三五九点貼られていま
す。奉納者には「団菊左時代」を築いた九世市川団十郎、五世尾上菊五
郎、初世市川左団次をはじめとする歌舞伎役者や常磐津などの芸能界、
土木実業組合や東京石工組合、東京株式取引所などの実業界、また魚
河岸、船頭、吉原・洲崎の遊郭や割烹料理屋などがみられ、深川不動
堂が幅広い人々によって信仰されていたことがうかがえます。竣工当
初は上部に八角の火袋がありましたが関東大震災により倒壊しました。
平成一九年度に区指定有形文化財に指定され、平成二十年に現在地に
移設されました。
 平成二十一年九月 江東区教育委員会


明治の江戸っ子たちが、
いかにこの深川不動を、
篤く信仰していたかというとことは、
この灯明台の案内の通りです。


→ 【江戸六地蔵旧第六番】大栄山 金剛神院 永代寺 その二 - 元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】




明治二十九年(1896)には、
旧・永代寺の塔頭吉祥院が、
永代寺の名称を引き継ぎ、
現在深川不動堂参道にある、
現・永代寺となりますが、
これを母に説明していると、
かつてここにあった、
江戸六地蔵の話になりまして、
まるで知らないようなので、
ここから一番近い、
現存する六地蔵の一体を、
案内することになりました。

道本山 霊厳寺 その二 ~松平定信墓~

国指定史跡 松平定信
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
135-0021 江東区白河1-3-32




→ 【江戸六地蔵第五番】道本山 霊厳寺 〜松平正信墓〜





霊厳寺




と、いう訳でやって来たのは、
江東区白河の霊厳寺。
元々は現中央区新川の、
霊巌島にありましたが、
明暦三年(1657)の、
明暦の大火で延焼し、
万治元年(1658)、
現在地に移転したものです。
移転後のこちらが、
度々鬼平犯科帳にも登場します。
駐車場がなかった為、
江戸六地蔵のお地蔵様への、
ご挨拶のみとなりました。
徳川吉宗の孫である、
陸奥白河藩第三代藩主、
松平定信の墓もありまして、
ここの地名の白河は、
この定信に由来します。




江戸六地蔵






→ 江戸六地蔵について - 元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】
→ 記事一覧 - 元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】




享保二年(1717)造立の、
江戸六地蔵の五番目になる、
銅造地蔵菩薩坐像です。
六番目の永代寺が、
廃寺に伴い取り壊され、
現存する五体の中では、
一番新しい像ですが、
蓮華座に穴が開いているなど、
かなり損傷がみられます。