東習志野に今も残る失恋の民話について


さて、歴史ブログを名乗りながら、
最近は二郎とランチと映画の話題ばかり・・・。
罪滅ぼしにたまにはちょっと民話の紹介でもしましょうか。




→ ロイヤルホームセンター習志野店



朝、彫刻刀を買いに出掛けたのは、
この東習志野六丁目ににあるホームセンター。




マックスバリュ東習志野店




このホームセンターと連接する、
このショッピングセンターとの間には、
どちらかの駐車場に車を停めたままで、
歩行者のみが行き帰り出来る連絡道が設けられています。




東習志野のショッピングセンター  ホームセンターとショッピングセンターの間




この間には現在ではまるで下水道にしかみえない、
こんな細い小川が流れています。
こんな川が多く流れる東習志野六丁目、七丁目周辺は、
今では多くの工場と他にもショッピングセンターがありますが、
昔は駒止谷と呼ばれ、人馬が立ち入らないほどの、
広大な沼地、湿地帯であったそうです。
はたして沼地といえども幕府直轄領地の大和田原を、
勝手に開墾してよいものか、
ちょっと真偽は不明ですが、
ここであった今に残る悲劇の民話を紹介します。





東習志野の小川





習志野原がまだ大和田原と呼ばれていた江戸時代のこと、
この広い牧原の片隅に、わずか五反*1ばかりの小さな畑を耕して、
病気の父と幼い兄弟たちと貧しく暮らす若者がおりました。
この時代米を作れぬお百姓さんは特に極貧でした。
おそらく日々の飢えをしのぐだけで精一杯の暮らしです。
ある日この若者が畑で獲れた野菜を荷車に積み船橋の市場に行商に出掛けると、
やはりそこで母親の野菜売りを手伝う美しい娘を見かけ、
たちまち一目ぼれをしてしまいます。
若者はこの娘を嫁にもらいたいと思うものの今の境遇ではどうしようもありません。
そこで悩んだ結果思いついたのが大和田原の駒止谷の開墾です。
底なし沼ともよばれるほどに泥が深く誰も手をつけないほどの谷底の土地です。
若者は、たらいを舟代わりにして、命がけで田植えをして稲を育てました。
最初の年の秋には、たくさんの米が獲れました。
若者は来年はもっと広くに田植えをして、
田を広げることを誓い、娘を嫁にもうらう約束をしました。
しかし、次の年もまたその次の年も稲作は失敗に終わります。
その間に娘の母が亡くなったので娘は遠い国へと出稼ぎに出されてしまいました。
失意の若者は、ある日、やっと稲作が大成功して、
たわわな稲穂を実らせている夢を見ました。
若者は飛び起きて駒止谷底の稲穂にむかって駆け出しました。
しかし若者が掴んだのは稲穂ではなく、泥沼に生い茂る葦でした。
若者はそのまま足をとられて深い泥沼の底へと沈み消えました。
それからしばらくたって、若い女が一人この沼に身を投げたそうですが、
これがあの娘であったのかどうかなのかは、
今となっては誰にももう分かりません。






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*1:約5000平方メートル