宗派 日蓮宗
本尊 十界曼荼羅
130-0012 墨田区太平1-26-16
お約束の貯金していたお寺ネタ。
大田道灌のお墓があるとされている、
墨田区太平のこのお寺です。
長禄二年(1458)に太田道灌が江戸城を築くにあたって、
城内鎮護の為に建立したのがこのお寺の開基。
現在の皇居の平川門の辺りです。
当時はこの辺りが平河村と呼ばれていました。
→ 平河天満宮 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地
この寺と同様に、
太田道灌がこの地に勧請したものの、
徳川家康により奉遷された平河天満宮の移転先の地は、
後に現在の千代田区平河町になりますが、
こちらのお寺は幾度か移転を余儀なくされ、
最終的に元禄八年(1695)に現在地に移転します。
そして山号は当時のままに平河山と残しました。
それが現住所の太田道灌の「太」と、
平河の「平」が合わさって、
現在の地名「墨田区太平」となったという説がありますが、
なんだかちょっと怪しいです。
太田道灌、縁の寺ですから、
当然、こんな「道灌公記念碑」もあります。
やはり山吹の花の伝説を表現しています。
これが、太田道灌公墓所と呼ばれる、
所謂、太田道灌のお墓ですが、
おそらく後の時代に、
追慕の為に建てられた、
供養の為の五輪塔に過ぎません。
→ 「鬼平犯科帳」の検索結果一覧 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地
お寺は、鬼平犯科帳の舞台となったことを強調していますが、
あれは池波正太郎さんの、ただの気まぐれの散歩道にあったもの。
史実や歴史とはまったく結びつきません。
山門左手の三重塔は、経石塔とされ、
昭和七年(1932)、日蓮聖人遠忌六百五十年を記念して建てられた、
天平風でありながら鉄筋コンクリートの建築物。
「妙元廟」と名付けられた、
永代供養の納骨堂の上部には、
「まゆ毛ボーン!!」な日蓮さんの銅像がありました。
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