羽田航空神社

祭神 航空神社祭神分霊
144-0041 大田区羽田空港3 羽田空港第1旅客ターミナル一階




今日は長男の「とある塾」の萩合宿参加の為、
出社前の、朝6時半までに、
彼を羽田空港へと送らなければいけません。



羽田空港パンフレット   




昨晩、団体カウンターの確認の為、
会社にあった、羽田空港第1旅客ターミナルのパンフをみると、
なんと、ターミナルの一階中央奥に、
こんな文字列を発見。
なんと、奥の奥、
歯科」の隣りが「神社」なんです。




なんだこりゃ。
ググってみるとこれ、
羽田航空神社」という名前のよう・・・。



→ 羽田空港 神社 - Google 検索




羽田空港第一旅客ターミナル南   



朝4時半に起き、湾岸を飛ばし、
6時過ぎに長男を無事送り届け、
7時過ぎに出発ロビーを通り抜ける姿を見送った後、
お参りしてみました。



羽田航空神社入口   



こんな寂しい暗い通路の奥、
通行しているのは、
航空会社の関係者ばかりです。




羽田航空神社   



ありました。
羽田航空神社」です。
通路が狭く「ひき」の絵が撮れませんが、
このように扉ががっちりと閉まっています。



朝8時にならないと、
開扉しないようです。
ガラス戸を覗き込むと、
真っ暗な部屋の奥に小さな祠堂が見えました。



羽田航空神社扁額   




この扉の上に、
通常の神社では鳥居に掲げられる扁額があります。
揮毫は創建当時の運輸大臣
「綾部健太郎」とありました。



→ 綾部健太郎 - Wikipedia



とりあえず、扉の前で、二拝二拍一拝。




土曜日の夕方、また長男を迎えに来ますので、
その時に、また改めてお参りします。




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航空神社

祭神 航空殉職者及び航空功労者 六千三百六十七柱
105-0004 港区新橋1-18-1 航空会館屋上




→ 羽田航空神社




昨日の下調べによれば、
羽田航空神社」は、
新橋の航空会館屋上にある「航空神社」の分霊のようです。




航空会館   




航空会館は、会社のすぐ近くなので、
午後の外出の前に立ち寄ってみました。




航空神社   




ビルの九階屋上にひっそりと、
この小さな神社はありました。




そもそもは、こちら、
昭和六年(1931)、帝国飛行協会理事会が、
明治神宮造営の残木を拝受して、
帝国飛行協会飛行館というビルの屋上に建てられました。
戦争末期からずっと中断されていた神社祭ですが、
戦後、昭和二十八年(1953)、日本航空協会発足とともに、
神社祭も復活。




昭和三十八年(1963)には、
羽田空港羽田航空神社を分霊します。




昭和四十九年(1974)、靖国神社境内社
鎮霊社に仮奉安遷座する際、
航空殉職者にあわせ、航空功労者も合祀され、
霊爾簿総数六千三百六十七柱となり、
昭和五十七年(1982)以降は、
祭神慰霊の神社から、
航空平安祈願の神社へと変換いたしました。




そして、昭和五十八年(1983)、
この航空会館屋上に、
写真の新社殿が落成。
現在に至るという訳です。



最近、航空機関連であまりいいニュースを聞きません。



ともかく、二度と不幸な事故のないように、
ご祭神、六千三百六十七柱に、
深々と二拝二拍一拝して、
航空神社を後にしました。



あ、そうそう。
ここでその「霊爾簿」は確かめられませんでしたが、
こちらに関わる方々も、
おそらくここのご祭神なのでしょう。



→ 山縣飛行士殉空之地碑





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