107-0062 港区南青山2-32-2 青山霊園1種イ19号2側1番
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いや、認めたり騒いだりするのは不本意ですが、
やっぱりこんなどん底の景気ですから、
得意先から"固定商品"の解約のお願いが続きます
そうなると"大本営"は、毎度お馴染みの、
とにかく新規顧客を増やせという大号令。
なにかとプロジェクトチームのメンバーに指名されてしまう私です。
そんな訳でやはり、今回も、
この新規顧客を増やすチームのメンバーと任命されましたが。
我が社の商品は、"人間"のサービスそのもの。
なかなかおいそれと、売れるものではないんです。
数ヶ月前に、とある得意先の紹介で、
西麻布の企業を、飛び込み同然で伺いました。
百戦錬磨の社長さんに、
適当にあしらわれたと感じておりましたが、
そちら様は、私の営業を覚えていてくれて、
今回、改めて是非使用したいという電話を頂きました。
正直、金額は大したことありませんが、
こちとら経営者でもないスチャダラサラリーマン。
こんなところにガッツポーズしてしまう、
小市民的なヤリ甲斐を感じてしまいます。
午後一番でその西麻布の企業に訪問。
首都高3号渋谷線、高樹町ICのそばです。
実はここ、青山霊園の最南端のすぐ近くです。
これもやはりなにかのご縁。
昨日の秋山好古顕彰碑除幕式に引き続き、
秋山好古大将の分骨されたお墓にお参りしてみました。
→ 北里柴三郎之墓
実は、去年秋訪れた北里柴三郎さんのお墓のお隣です。
その時にも秋山家のお墓にお参りして、合掌し写真を撮り、
いつかネタギレの時に利用しようと思っていましたが、
結局利用せずに今日の再々訪問に至りました。
さて、とっても現代的な「秋山家之墓」です。
特に樹木や、凝った個性的な造形ははありません。
下地には白い石がひかれています。
昭和六十二年六月
秋山 雄兒・哲兒 建之
墓石裏にはこう刻まれています。
この墓が建立されたのは、
昭和六十二年(1987)ですから、
もう約二十二年前で、施主二名。
昨日の除幕式にもいらっしゃった、
秋山家第十代当主の哲兒氏と、
その前に刻まれた墓碑筆頭の雄兒氏。
秋山
貞子 明治三十八年六月十九日没
保子 明治四十二年三月十四日没
則久 大正二年二月九日没
好古 昭和五年十一月四日没
信好 昭和二十二年二月六日没
多美 昭和二十五年二月十二日没
雄兒 平成七年四月七日没
墓誌を読むと、この雄兒氏は、
墓建之の八年後に亡くなっています。
ただ、この墓が出来て最初に納骨されたのはこの方で、
他の方々が亡くなったのはもっとずっと前のこと。
墓誌の順に調べてみました。
貞子さんは好古さん、真之さんのお母さん。
保子さんは早世した好古さんの第六子第五女。
則久さんは好古さんの長兄の秋山家第七代。
信好さんは好古さんの第三子で長男の秋山家第九代。
多美さんは好古さん奥様で、保子さんや信好さんのお母さん。
雄兒さんは、おそらく信好さんの子で、
現当主、哲兒氏の兄弟ではないでしょうか。
おや、墓石と台座の隙間から、
こんなど根性のハルジオン( ヒメジョオン?)が生え、
健気にも、花をつけております。
紛いなりにも、墓参した私ですから、
本来であれば、こんな雑草は引き抜いて、
合掌すべきところではありますが、
どうもこのハルジオン( ヒメジョオン?)が、
可愛くて、愛おしくて・・・。
つい自然とそのままにしてしまいました。
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