秋山好古顕彰碑 除幕式

平成二十一年(2009)5月17日(日)11:30〜
275-0011 習志野市大久保1-17-14 薬師寺脇隣
公式サイト http://www.etown-okubo.net/event/2009/akiyama/index.html




→ 習志野ってどこ??
→ 習志野騎兵旅団司令部跡
→ 騎兵第十三連隊跡
→ 騎兵第十四連隊跡・戦車第二連隊跡
→ 旧陸軍演習場内圍壁(支那囲壁砲台跡)
陸軍習志野学校跡地 その → 
→ 「習志野騎兵」関連の記事
→ 「坂の上の雲」関連の記事



今日は長男は「とある塾」
今日と来週で講義は終わり、6月7日(日)にはもう卒塾式だそうです。
ホント一年早かったなぁ〜。




通行止めのお知らせ除幕前の秋山好古顕彰碑




昨日偶然見かけた立看板の、
秋山好古顕彰碑」の除幕式が気になります。
凄い強風が吹き続けていますが、
雨はほとんど上がりました。
暇そうにしている次男と二人、
いつの間にか名称が変わっている、
「学園大久保商店街」の、
除幕式会場に行って見ました。





秋山好古顕彰碑除幕式会場




商店街の道路の真ん中にテントまで立てちゃって、
なんだか商店街の熱い気合が伺えます。
まぁ要するにNHKドラマで司馬遼太郎の、
坂の上の雲」が初映像化されるもんですから、
この主人公の一人である、
たまたまこ習志野で、
日本の騎兵を育成し強化し、
世界最強だったロシアのコサック騎兵と対等に戦った、
秋山好古大将にあやかって、
「町おこし」をしようというものなんです。




→ スペシャルドラマ坂の上の雲/NHK 松山放送局|坂の上の雲




幕を押さえる係員




さすがに青いシートではなく、
純白の幕が張られています。
強風の為、取れかかる幕を、
必死に押さえている係員さんが大変そうでした。




式次第





こんな式次第があります。
徐々に人が集まりだし、凄い人ごみになりました。
時間ちょうどになっても式が始まりません。
どうやらこの人を待っていたようです。




青春おじさん




妙に騒々しく暑苦しい「青春おじさん」の登場です。
そう言えば浄土真宗本願寺派はこの人を応援していました。
逆にこの人、創価学会が天敵なんだそうです。
いずれにしても「あっしにも関わりのねぇこって」。




除幕寸前




来賓が紅白の綱を持ち、
除幕直前の写真タイムです。
街頭に多く貼られているポスターとは、
あまり似ていない女性衆議院議員さん。
写真の修整は「偽装」ではないのかな。




ラッパ手 演奏




習志野自衛隊、第1空挺団ラッパ手のファンファーレ。
かっこいいねぇ。
夜時々、消灯ラッパが聞こえてきますが、
この人たちがこうやって吹いていたんだね。
タヤパン、この兵隊さんのラッパって、
どうやって音を変えているんだろうか?。




除幕直後




さて無事に「顕彰碑」が除幕しました。
本当は強風でめくれ、
何度も見えていたんですけどね。(笑)




秋山好古顕彰碑




今も八幡公園の門として現存する、
習志野騎兵旅団司令部の門柱を模した物の間に、
背景に当時の司令部の写真を飾ります。




秋山好古顕彰碑 近景




馬の首から上を表現した赤い石碑の中央、
晩年の秋山好古大将の写真と名前があります。
いや性格には写真ではなく、
最新の技術で石に彫られた肖像だそうです。
台座には大将筆の「天地無私」。



秋山好古顕彰碑 碑文




石碑自体には碑文はなく、
石碑左手に独立した碑文立てがあり、
銀色の金属プレートに、
この碑文が刻まれていました。
ここに写しておきましょう。







    秋山好古習志野





日本とロシアの間に緊張が高まった明治三十六年(一九〇三年)、
秋山好古は当時大久保にあった騎兵第一旅団に赴任し、
翌三十七年、日露戦争が始まると同旅団長として中国に渡りました。
戦地では、沙河・黒溝台・奉天等の激戦地を駆け巡り、
当時世界最強と呼ばれたロシア・コサック騎兵と互角に渡り合い、
あるいは凌ぎ、日本軍の危機を幾度も救う活躍を見せました。
司令官でありながら最前線で指揮を執り、退却時には自らしんがり
つとめた好古の勇姿は、敵・味方をこえて評判となり
明治三十八年九月、日本とロシアの間に講和条約が締結されると
明けて明治三十九年早春、好古は連戦の痕跡を残す連帯旗と共に
堂々と大久保の地に凱旋しました。この戦功によれ後に日本騎兵の父と
呼ばれた秋山好古、そして日本海海戦で、赫々たる戦果を上げた
連合艦隊の主席参謀、実弟秋山真之の活躍は世界から驚きをもって称賛<され、
後に小説「坂の上の雲」(司馬遼太郎著)の主人公しとて描かれ、
現在も多くの人々にその名が知られています。
当時の日本が他のアジア諸国のように西洋列強の隷属や植民地にならなかった
のは秋山兄弟の功績に負うところが大きく、習志野の地にいた数年間は
好古の人生にとっても日本にとっても重要な日々であったことは
後の歴史が物語っています。




注、習志野騎兵第一旅団の編成軍
騎兵第十三連隊(現東邦大学)、騎兵第十四連隊(現日本大学)
                           平成二十一年四月吉日








騎兵連隊OB敬礼



かなりご高齢の騎兵連隊OBの敬礼です。
この時のラッパ手の演奏は、陸上自衛隊のものではなく、
帝国陸軍が陸軍大将に捧げるものだったそうです。



森田健作千葉県知事



青春おじさんとはいえ、森田健作千葉県知事。
県知事といえば、元は藩主が勤めた首長。
当然来賓祝辞は一番最初でした。
この人をみるのはこれが初めてではなく、
今まで何度かありますが、
確かにこのエネルギッシュ、たいしたもんだねぇ。



大谷美術館・大谷利勝館長




大谷美術館の大谷利勝館長?。
ああ、元の日本大学生産工学部の学部長で、
日大副総長も勤めた方のようです。
日大の中の騎兵第十四連隊跡・戦車第二連隊跡の記念碑等は、
この方が中心となって整備されたそうです。




荒木勇習志野市長





毎度おなじみの荒木勇習志野市長。
このおとっつぁんたら、
「今回改めてまた坂の上の雲9巻を買い込んで読みました。」だって。




・・・あの、文庫でも全8巻なんですが。





京成大久保駅」を「学園都大久保駅」に変えようと、
京成電鉄を巻き込んで画策しているそうで・・・。





・・・あの、そんなこと、どうでもいいんですけど。




第1空挺団副団・長澤畠博1等陸佐




習志野自衛隊からは、
第1空挺団の副団長・長澤畠博1等陸佐です。
1等陸佐といえば「大佐」だね。
さすが防衛大学校卒のエリートのご挨拶は、
歯切れが良くて聞いていて気持ちがいいです。




「皆様是非、習志野駐屯地に足を運んでいただき、
秋山大将揮毫軍馬慰霊の碑をご覧下さい。」だって。




軍馬慰霊の碑を見せて下さいと言ったら、
中に入れてもらえるんですか。
さすがに89式5.56mm小銃を携えた衛兵に聞くのもなんですから、
今年の自衛隊夏祭りにでも行ってみます。




秋山家10代当主・秋山哲兒氏




最後は謝辞として、秋山好古大将のお孫さん、
秋山家10代当主・秋山哲兒氏のご挨拶。




長身で色白、目が大きくて鼻の高かった秋山好古さんは、
よくヨーロッパ人と間違えられていたそうですが、
失礼ながらお孫さんは、
あまり似てはいらっしゃいませんでした。
ただ好古さんの風呂嫌いは有名なエピソードで、
戦闘中も周囲の部下は苦労したとか。
酒が大好きなのは私と同じですが、
晩年この人は、ご本人の希望で元陸軍大将としては、
異例ともいえる中学校の校長として、
その職歴を終えるんですが、
戦功や功績はまったく話したがらなかったようなので、
こういう顕彰碑には興味があろうはずはありません。
実は青山霊園に分骨の墓があります。
一方弟の秋山真之さんは海軍で、やはり日本海海戦の名参謀で、
やはりバルチック艦隊を破った英雄ですが、
この人は晩年・・・・・・。
長くなりますのでこの話はまたいつか。
ただウィキに墓が青山霊園にあるというのは誤りで、
鎌倉霊園に眠っています。




閉式後




しかし、これだけのアナウンスと、
この天候で、よくこれだけの人が集まったものです。





人気ブログランキングへ ← 二つのブログランキングに参加しております。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ ← よろしかったら応援クリックをお願いします。