陸軍習志野学校跡地 その五

関係のない西原家墓

習志野の森
275-0006 習志野市泉町3-10
公式サイト http://www.geocities.jp/narashinonomori/




陸軍習志野学校跡地 → その一 その二 その三 その四
→ 過去の「習志野騎兵」関連の記事




ほぇっ!?。
昨日が最後と言いながら、今日もだってぇ??。
申し訳ございません。
あとホントにもう一回だけお願いします。




今日は朝一で新宿のお客様とアポイントがありました。
みんな乗りたがらない運転手付き社用車を使い、
万全を尽くし、約束の一時間前に日比谷を出たら、
なんと10分で新宿に到着してしまい、
新宿御苑のトンネルを潜らず、
新宿一丁目付近で時間調整をしていました。
そんな時、ふと昨日の自分の記事を思い出したのです。




西原貫治さんは、戦後三十年を経て、
藤沢の自宅で亡くなったのに、
なぜ、わざわざ葬儀が新宿の太宗寺だったのか・・・。
これ菩提寺なんじゃないの??。




「○○(運転手)さん、
ごめんね、ちょっとアポまで時間があるので、
太宗寺の近く(?)のお客さんに立ち寄りたいので、
ちょっとその辺りに停まって待っててよ。」




ホントの私の目的は太宗寺そのもの・・・。
・・・大嘘です。すみません。




小さな墓地です。
すべての墓碑を調べたつもりですが、
「西原家」のものはたった一基。
右上の写真です。
墓誌には、
「平成十一年九月十九日」に、
「九十才」で亡くなられた男性のみ・・・。
人違いならぬ、お墓違いと、いったところか。




こりゃ、まったく、西村貫治さんとは、
まったく関係ないのかなぁ。
・・・・・・ほえっ!!。
なんと、このお墓にそえられた卒塔婆に、
貫治さんの喪主だった、ご長男と同じ名前がぁぁっっ!!!。




完全な勝手な想像ですが、
お隣は改葬なさったような空き地があるので、
あるいは以前、ここにお墓があったものの、
移転して、こちらはここに残った同姓の、
親類の方のお墓かもしれません。




アイドルや、女優に対する「追っかけ」だの、
「ストーカー」だのはよく耳にしますけど、
ともかくこれ以上・・・、
「陸軍中将」を「追っかけ」「ストーカー」するのも、
・・・どうかと感じていましたので、
これにて、とりあえず終了いたします。。




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