新・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

習志野在住日本橋勤務の千葉都民。神社仏閣・歴史散歩、カメラ、ロードバイクが趣味。ラーメン(二郎京成大久保店ホーム)・蕎麦が好物。

【坂東第三十三番】補陀洛山 那古寺 (那古観音) 〜和泉式部供養塚〜 《坂東三十三ヶ所結願御礼》

宗派 真言宗智山派
本尊 千手観世音菩薩
ご詠歌 補陀洛は よそにはあらじ 那古の寺 岸うつ波を 見るにつけても
294-0055 館山市那古1125




南国ムードたっぷりの館山  



館山道を終点まで下り、
館山市内へと入りました。
急に南国ムードの情緒がたっぷりです。



那古寺・本坊  蘇鉄




無料駐車場の奥にある那古寺の本坊です。
その右手には、根元が12本に分かれた、
高さが6mにも及ぶ、館山市内一の蘇鉄です。
嘉永七年(1853)一力長五郎という力士の奉納だとか。




大山巌揮毫の碑




観音堂への参道の入り口手前、
多くの石塔の奥にこの「日露戦争記念碑」がありました。
"せごどん"こと西郷隆盛の従弟の大山巌元帥の揮毫です。
坂東霊場の多くに、乃木希典東郷平八郎の揮毫をみましたが、
大山巌のものは初めてかもしれない・・・。
彼の書はいつもとても丁寧な教科書体のような楷書です。



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仁王門
吽形  阿形




渋い仁王門には、スレンダーな阿吽の金剛力士
そもそもこのお寺は第四十四代の女帝・元正天皇の病気回復を祈り、
養老元年(717)に行基菩薩が海中から霊木を得て千手観音を刻み祀り、
無事回復をされたので、勅命によって、
この那古山の山頂に建立されたと伝わる古刹です。
源頼朝足利尊氏、里見義実や徳川家康に信仰されて栄えました。



那古寺の境内



ただし元禄十六年(1703)の大地震で、
山頂にあった伽藍はほぼすべて倒壊し、
山の中腹に現存するこれら伽藍は、
ほとんどそれ以降に建てられたものです。




鐘楼



鐘楼は瓦が崩落していて、
危険なので近寄らないよう書かれていました。
実際、角の瓦の一部が下に落ちて割れています。




阿弥陀堂  阿弥陀如来像



ほとんどの建物が元禄期の再建ながら
鎌倉時代に造立されたという阿弥陀堂
中には、県指定有形文化財の、
木造阿弥陀如来坐像がいらっしゃいました。



多宝塔  多宝塔内部の木造宝塔




同じく県指定有形文化財の多宝塔は、
やはり宝暦十一年(1761)の再建。
内部の中央須弥壇にはこの木造の宝塔が祀られているとか。





観音堂



「圓通閣」の扁額のかかる、
本堂でもある観音堂です。
こちらは宝暦八年(1758)の再建。




重文の銅造千手観音の写真




本堂内は写真撮影禁止の為、
写真はこの案内板のものですみません。
よく知られた国指定重文のこの銅造千手観音は、
中央左手にあって、あくまでご本尊ではなく、
ご本尊は秘仏の中央の御簾の中、
藤原期作の楠の一木造りの、
同じく千手観音菩薩なんだとか。




日枝神社  観音堂の裏の諸堂



観音堂左手には日枝神社があり、
その裏手には様々な諸堂が並びます。




観音堂からの館山の海の眺め




ご詠歌にある「岸うつ波を見る」この絶景。
しかし、そもそもこの寺はもっと山頂にありました。
今この山の上には、なぜか全国にいくつかある、
和泉式部の墓の一つがあるとか。
これはちょっと頑張って上に登ってみましょう。



和泉式部下のムラサキシキブ  潮音台に向う石段 



その供養塚がある潮音台は、
観音堂の左手に登り口があります。
和泉式部への供養塚への道筋に、
ムラサキシキブが実っていたのは皮肉でした。




急な石段が続く  和泉式部供養塚への石標




急なを石段を上ること十数分。
本堂上の山の山頂、潮音台に出ました。
那古山の山頂はもっと南東になるようです。




潮音台



しかしここは本当に素晴らしい絶景。
ご詠歌の景色はここであると思い込んで
その眺めを堪能しました。



潮音台から和泉式部供養塔をみる  小式部内侍供養塚
和泉式部供養塚




和泉式部供養塚と小式部内侍供養塚です。
和泉式部にはこの石塔がありますが、
娘の小式部内侍にはこの明治期の笠のある石塔が一基のみでした。
日本最初の(×)ヤリ○ン(○)自由奔放な男性遍歴を重ねた貴族の女性、和泉式部
ライバルの紫式部はその才能を認めながらも、
その素行に眉を顰めていたという話です。




→ 小野小町の里 〜小野小町墓〜 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地




この茨城の小野小町の墓同様に、
この和泉式部の墓も全国にまた多数あります。
多くの弘法大師空海伝説と同様に、
ここにもそんな和泉式部のような、
自由奔放な女性と娘が流れて来て住み亡くなって、
ここに葬られてこの墓が出来たのでしょう。



第33番朱印
結願の印




さてついに坂東最後の納経をして、
坂東最後のご朱印を頂戴しました。
すべてのご朱印を確認して頂き、
結願の印も押してもらいました。
古の巡礼者は鎌倉を旅立ち、
関東一円をぐるりと廻って、
ここ館山で杖を置き、
舟でまた鎌倉に戻りました。



結願之証(表紙)  結願之証(中・お祝いのことば)




志納で頂けるという「結願之証」も頂戴しました。
ご朱印代と合わせて、千円を納めました。(←少ないっすか?)




結願之証



証の中央には「巡拜畢」と記されています。
これは巡拝が終わったことを表わしています。



我が家の賞状コーナー  ボロボロになった観音霊勧行式




我が家のダイニングカウンター上の賞状コーナーに、
子供達の小学校のマラソン大会、
妻の紙ヒコーキ全日本三位と並べて、
私もこの「結願之証」をかかげました。
五年余りの間、一緒に巡拝した、
音霊場勧行式(経本)はこの通りボロボロです。




→ 長男のマラソン大会 2005 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地
→ 息子達のマラソン大会 2006 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地
→ モノづくり体感スタジアム 2009 〜かみさんの全日本折り紙ヒコーキ大会〜 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地




全ご朱印




改めて結願の感謝を込めて、
すべてのご朱印を並べてupします。
長いようで短い五年間でありました。
実はごく身近な方々には、
坂東三十三ヶ所霊場結願と同時に、
このブログも終了するつもりであることを話しておりましたが、
さて、どうしよう・・・???。
善光寺と並び、もう一つの坂東霊場番外札所である、
長野県上田市北向観音
そして巡礼途中である、
吉橋大師八十八ヶ所にすべてにお参りするまで、
とりあえずこのブログはまだ継続致します。




おかげさまで坂東霊場を無事結願しましたことをご報告申し上げます。
ともかく皆々様、今までありがとうございました。




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