162-0055 新宿区余丁町4 富久町児童遊園内
→ 「永久平和を願って」の碑 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地
リストセールスで市ヶ谷の企業を訪問してみました。
そういえばこのすぐ近くには、
気になっていた記念碑があったはず。
あまり有名ではありませんが、
この市谷台町のすべてと、
富久町・住吉町の一部には、
東京監獄、市ヶ谷刑務所がありました。
その処刑場があったとされる跡地の、
すぐ近くにある児童公園の片隅に、
この慰霊碑がひっそりと佇んでいます。
碑には案内板や由緒書はまったくなく、
昭和三十九年(1965)に日本弁護士連合会によって建てられたもののよう。
はてさて、そもそもこの刑務所、、、
明治八年(1875) に日本初の近代刑務所の一つ、市ヶ谷監獄として設立されて、
明治十二年(1879)にはあの高橋お伝が日本女性最後の斬首をされました。
明治三十八年(1905) 鍛冶橋の東京監獄と合併して、
大正十一年(1922) 市ヶ谷刑務所と改称されたものの、
昭和十二年(1937) には閉鎖されています。
なのになんで、そんな時期に日弁連・・・????。
→ 「差別」の検索結果一覧 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地
どうやらこれは、あの幸徳秋水らによる、
かの大逆事件の刑死者を主に慰霊するものなんだとか。
この事件については、かつて差別について研究した際に、
いつもたどり着く事件であったので、
感慨深く、思わず碑に心から合掌しておりました。
この事件については、今もまだ結論が出ない、
日本史に残る大事件の一つです。
この碑については、あの社民党党首・福島瑞穂さんが、
このサイトで詳しく書いています。
碑の裏側には当時日弁連の会長だった、
円山田作さんの書であることのみが印されていました。
まだまだこの戦後日本にも、多くのタブーは存在します。
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