宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王
三十六童子 獅子慧童子
164-0011 中野区中央2-33-3
公式サイト http://www.housen.org/
14時に西新宿の新規顧客とのアポがあるもので、
午後イチに中野坂上の企業を訪問する予定です。
この近くにある関東三十六不動札所、
中野の古刹、宝仙寺にお参りしました。
前回お参りしたのは九年前の、
御府内八十八ヶ所の第十二番の時。
その過去記事にほとんど内容がないのには、
あまり良くない思い出があります。
寛治年間(1087〜94)、
源義家が「後三年の役」平定後の帰京の途中に、
護持していた不動明王像を安置する為に建立したとされるこちらです。
あまり年代物ではないようですが、
山門は大きく立派な阿吽の金剛力士。
山門をくぐると右には葬儀が終わったばかりの大師堂。
左には「中野町役場跡」と記された石碑があります。
明治二十八年(1895)から昭和初期まで、
この境内に中野町役場、中野区役所が置かれていたとか。
その石碑の前に小さな池があり池の真ん中には噴水が。
どうやら昔名物であった中野そばを挽いていたものの、
機械化によって道端に放置されていた石臼を、
供養する為に積み上げた石臼塚なんだそうです。
その奥の三重塔も近年再建されたものだそうですが、
純木造建築の飛鳥様式です。
本堂にはお寺の縁起より少し後の、
鎌倉期の不動明王立像を本尊に、
五大明王が安置されています。
本堂左手の御影堂には、
この巨大なお大師様、
脱活乾漆技法という弘法大師坐像が祀られています。
墓地入口には六地蔵と、
大変珍しい"見送り地蔵"と呼ばれている、
石造地蔵菩薩坐像、引導地蔵尊。( ・∀・) イイネ!
思わず、フェイスブックの仏像グループに投稿してしまいました。
しかしよくよく冷静に考えると、
六道を巡回して衆生を救済していただけるお地蔵さまが、
「あらまぁ〜、地獄道に行っちゃいました。」って、
見送ていていいものだろうか??。
手に持っている宝珠(タマネギ)もとんがりが丸まっちゃって、
おにぎりに見えるものだから、
だんだん裸の大将にみえて仕方なくなって来ちゃった。(^_^;)
墓地中央には、長く中野村の名主をつとめたという、
この堀江家の墓所が二箇所。
名主であると同時に宝仙寺の檀家総代も代々なさっていたとか。
堀江家は十六代の恭一氏を最後に途絶えてしまったそうです。
宝篋印塔や八十八大師塔、
枝垂梅と枯山水など、他にも見所は沢山あります。
さて寺務所である大書院で、
この御尊影と御朱印を戴きました。
今回の童士は師子彗童士です。
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