長祈山 浄信寺 (木之本地蔵院) 〜 〜琵琶湖一周サイクリング(ビワイチ)初日-2〜

宗派 時宗
本尊 地蔵菩薩秘仏
529-0425 長浜市木之本町木之本944
公式サイト http://www.eonet.ne.jp/~kinomoto-jizou/





琵琶湖一周サイクリング(ビワイチ)初日→ 1






長浜港  長浜港のチェックポイント




実はビワイチには、
びわ湖一周認定システム」がありまして、
十数ヶ所のチェックポイントがあり、
スマホの位置情報をオンにして、
そのチェックポイントでクイズに答え、
四ヶ所以上での正解が必要で、
これを送信した人には、
びわ湖一周サイクリング認定証」と、
「特製ステッカー」が授与されます。
(発行手数料1,000円、振込手数料負担)
今回、我々は最初のチェックポイントに、
この長浜港を選び立ち寄りました。
観光船は台風の影響で欠航しているよう。







長浜歴史博物館  長浜城模擬天守




模擬天守長浜城がある、
市立長浜城歴史博物館はスルーです。
長浜城天守構造は全く不明なので、
この天守は昭和五十八年(1983)に、
犬山城伏見城をモデルにして、
鉄筋コンクリートで建てられたものですから、
まるで興味はナッシング。




姉川大橋手前で道を間違えて行き止まりに  昨夜の台風で折れた木





そんな毒づいておりましたら、
姉川大橋の手前で道を間違えて、
河口の行き止まりに出てしまいました。
昨夜の台風の被害なのか、
太い木の枝が折れて、
通行を遮っております。






琵琶湖の砂浜




しかし今回このことで、
初めて琵琶湖の砂浜近くに下りました。
いやいや琵琶湖ゴツイがな。
ホンマに二日で一周できるんやろか、
知らんけど。





道の駅 湖北みずどりステーション  道の駅湖北みずどりステーションのチェックポイント




さてお次のチェックポイントに選んだのは、
同じ長浜市内の道の駅湖北みずどりステーション。



道の駅湖北みずどりステーションの展望室





二階が展望台になっていて、
野鳥の生態が観察出来るウリでしたが、
正直ちょっと微妙でございました。





片山トンネル手前  片山トンネル




その先の片山トンネルは、
歩道が左側にしかなく、
手前で左を走行するように誘導されます。
我々はなぜか当然のように、
車道と湖岸線の向きで、
反時計回りを選びましたが、
時計回りのビワイチ挑戦者も、
どうやら多々いるみたい。




余呉川沿いを走る  大音交差点を右折して木ノ本方面へ




片山トンネルを越えると、
湖岸線は山間に道がないようで、
余呉川という川に沿って、
内陸部へと入ります。
丁字路の大音交差点で、
ビワイチのコースは、
本来は左折ですが、
右折をして木ノ本方面を目指します。
北陸道木ノ本ICは、
初日に向源寺(渡岸寺観音堂)へ、
向かう為に降りたインター。
その時にも渋滞で車窓から見えましたが、
例年八月二十二日〜二十五日が、
木之本地蔵院の大縁日で、
毎年十万人の参詣者を迎えるとか。
実はこの大縁日は全くの偶然で、
我々の目的は門前のパン屋さん。



木ノ本地蔵院の縁日  木ノ本地蔵院門前の近江北国街道の街並み





しかし折角ですから、
チャリをひいて大縁日を楽しみましょう。
木ノ本地蔵院門前の、
近江北国街道の街並みは、
本当に古い商家の立ち並ぶ、
ホンモノの歴史街道風景。




木ノ本地蔵院  本堂




さて木之本地蔵院は、
正式名は長祈山浄信寺で、
宗派は時宗の寺院。
本尊は秘仏地蔵菩薩ですが、
国指定の重文のようですから、
絶対秘仏ではないようです。
七世紀後半、天武天皇の頃、
難波浦に金光を放つ、
地蔵菩薩像が漂着し、
これを祀った金光寺を、
難波の地に建てたのが始まりだそうで、
その後、現在の木之本に移転する、
経緯については二つの異なる伝承があるとか。
一つの伝承は薬師寺の僧を開山とするもので、
天武天皇四年(675)聖武天皇の勅命で、
薬師寺の祚蓮上人が北国街道を下り、
この地の柳の下に降ろしたところ、
そこから動かなくなったため、
この地を安置場所と定めて、
柳本山金光善寺と号して、
一寺を建立しました。
この「柳の本」が、
後に「木之本」となったという説。
もう一方の伝承は、
文武天皇が北陸の白山参詣の途上、
木之本の地で紫の雲を見て、
この地が霊地であるとして、
難波の金光寺を木之本に移したとする説。
弘仁三年(812)に弘法大師空海が巡錫したとか、
昌泰元年(898)に菅原道真が参拝したとか、
建武二年(1335)に足利尊氏が毎年八月遣使して、
法会することにしたことが八月の大縁日となったとか、
もう伝説・伝承オールスターの様相。
確かなのは賤ヶ岳の戦いで、
ここに豊臣秀吉の本陣がおかれ、
その戦火により焼失してしまい、
慶長六年(1601)に豊臣秀頼の命で、
片桐且元が再建したことでしょうか。
しかし元文四年(1739)には、
寺は再び灰燼に帰し、現在の本堂は、
宝暦年間(1751-1764)の再建とか。





御戒壇巡り  地蔵大銅像





善光寺と同じような、
戒壇巡りがありましたが、
おそらく冷房はなく、
内部は蒸し暑いであろうと想像し、
この後の体力温存の為にスルー。
本堂左手には秘仏本尊の写しという、
日本一の大きさで、
日本三大地蔵の一つとされる、
高さ約六mの地蔵菩薩銅像があり
明治二十七年(1894)の建立。
先の大戦中、当時の住職や、
東條英機の妻である勝子らの援助によって、
金属供出令を免れました。





阿弥陀堂入口  阿弥陀堂



本堂左手奥に阿弥陀堂があり、
「国宝」と記されていますが、
おそらく旧国宝の重文でしょう。
覗き込むと立像の、
阿弥陀様がおわしますので、
これが平安時代作の重文、
木造阿弥陀如来立像かと思われます。




阿弥陀堂内  書院の阿弥陀如来




書院には坐像の、
阿弥陀様がおわしましたので、
これが平安時代作の重文の、
木造阿弥陀如来坐像でしょう。
いやいや関西に来ると、
重文とか式内社の価値感が、
著しく低下して、
おかしくなります。




古眼鏡お納め処





しかしこの古眼鏡お納め処は、
ちょっとジェノサイド的な想像をしてしまい、
趣旨よりもショッキングに見えてしまった。
(;´Д`)