江島神社 〜鎌倉・江ノ島サイクリング⑤〜

旧県社・別表神社
主祭神 多紀理比賣命・市寸島比賣命・田寸津比賣命
251-0036 藤沢市江の島2-3-8
公式サイト http://enoshimajinja.or.jp





由比ガ浜を走り江の島を目指す



昨年暮れに落車をした、
由比ガ浜を走りまして、
江の島を目指します。



江ノ島  江の島大橋を渡り江ノ島を目指す


江ノ島が見えて来ました。
江の島大橋を渡り、
無事江ノ島に上陸デス。
江島神社は、
江戸時代までは、
弁財天を祀っており、
江島弁天・江島明神
と、呼ばれましたが、
神仏分離の際に改められ、
現在では、
多紀理比賣命、
市寸島比賣命、
田寸津比賣命の、
宗像三女神を祀ります。
しかし現代では、
辺津宮境内の奉安殿に、
八臂弁財天と妙音弁財天が、
安置されています。
社伝によれば、
欽明天皇十三年(552年?)、
欽明天皇の勅命により、
江の島の南の洞窟に、
宮を建てたのに始まりとされ、
当社は金亀山与願寺と称する寺でした。
吾妻鏡』によれば、寿永元年(1182)、
源頼朝の命により文覚が、
島の岩屋に弁財天を勧請したとあり、
これをもって創建とする説もあります。




朱の鳥居  瑞心門




江戸時代から今日まで変わらないのは、
幅1.5間(約2.75m)の賑やかな参道。
これを抜けると鮮やかな朱の鳥居があります。
現在の鳥居は昭和十一年(1936)、
山田流筝曲の家元・林敏子が再建・寄進。
この朱の鳥居の正面、
石段を上ったところにあるのが、
龍宮城を模した楼門の瑞心門。



辺津宮


そして辺津宮は、
田寸津比賣命を祀っています。
建永元年(1206)、
鎌倉幕府三代将軍・源実朝が創建。
延宝三年(1675)に再建された後、
昭和五十一年(1976)の大改修により、
権現造りの現在の社殿が新築されました。
一番下に位置していることから、
『下之宮』とも呼ばれます。


奉安殿  八臂弁財天


辺津宮の左側にある八角のお堂が奉安殿。
拝観料が別途かかりますが、
写真の八臂弁財天と、
裸弁財天の妙音弁財天が安置されています。
(撮影禁止なので弁財天の写真は拾い物です)



江の島からの景色



この奉安殿から、
中津宮に上がる途中から見た、
藤沢・鎌倉方面を望む、
景色がまた最高。




中津宮


さて中津宮は、
市寸島比賣命を祀っています。
中津宮は、元の上之宮で、
仁寿三年(853)に慈覚大師円仁が創建。
元禄二年(1689)に、
徳川幕府五代将軍・徳川綱吉により、
本殿・幣殿・拝殿からなる、
権現造りの社殿が再建されました。
現在の社殿は、
平成八年(1996)の、
全面的な改修によるもので、
元禄当時の朱色が鮮明な、
社殿を再現しています。
平成二十三年(2011)には、
幣殿、拝殿の床板を張り替え、
御札授与所も再建され、
社殿脇には水琴窟を構えた、
庭園が開園しました。



江の島シーキャンドル



江の島展望灯台
"江の島シーキャンドル"を横目に、
奥津宮を目指します。




奥津宮鳥居  奥津宮




そして奥津宮は、
多紀理比賣命を祀っています。
多紀理比賣命は、
三姉妹の一番上の姉神で、
龍神伝説発祥の地の、
相模湾を臨む岩屋に、
一番近い奥津宮は、
昔は、本宮または御旅所と称され、
岩屋本宮に海水が入りこんでしまう、
四月~十月までの期間は、
岩屋本宮のご本尊が、
ここ御旅所に遷座したと言われています。
社殿は壮麗を極めていましたが、
天保十二年(1841)に焼失。
翌十三年(1842)に再建されたのが、
現在の御社殿で、
昭和五十四年(1979)に、
屋根が修復されました。
平成二十三年(2011)には、
本殿が百七十年ぶりに改修されています。