135-0023 江東区平野2-7-8
昨年は関寛斎・あい夫妻の足跡を辿った一年だったが、今年は間宮林蔵yearにしようかと計画している。さすがに樺太には行けないけど。🥲
— makoto-jin-rei@元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】 (@makotojinrei) 2022年1月27日
てな訳でございまして、
吉村昭の「間宮林蔵」を、
数年ぶりに読み直しておりますが、
読書の話はまた別の機会に。
いつもの通勤経路から、
ちょこっとだけ足を伸ばすと、
間宮林蔵の墓にお参り出来ると知り、
早速PCX150でお参りしてみました。
間宮林蔵の墓は、
茨城県の生家の、
すぐ近くにもありますが、
こちらの江戸の墓は、
生前に自ら建てたものと伝わります。
墓地は本立院という、
日蓮宗の寺院の墓地とのことですが、
お寺は西に350mほど離れています。
おそらく他の墓を移転して、
間宮林蔵のものだけが、
飛び地となって残ったものか。
墓地の右手には、
大正十四年(1925)に建てられた、
東京府指定史跡の碑があります。
現在は江東区指定史跡になります。
墓石正面には、
水戸藩九代藩主・徳川斉昭の書で、
「間宮林蔵蕪崇之墓」と刻まれていますが、
実はこの墓石は昭和二十年(1945)の、
東京大空襲で破損してしまい、
昭和二十一年(1946)に、
拓本を基に再建されたものなんだとか。
墓石左側面には、
「顕実院宗円日成大居士」と戒名が。
また墓石右側面には、
この墓の建立とその再建の経緯が、
「四代ノ後裔」により刻まれています。
墓石裏面には、
中央に大きく命日である、
「天保十五年二月廿六日歿」と、
明治三十七年(1904)の贈正五位が、
榎本武揚の書で記されています。
#間宮林蔵墓 pic.twitter.com/Y93mMM97IM
— makoto-jin-rei@元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】 (@makotojinrei) 2022年2月9日