間宮林蔵墓

135-0023 江東区平野2-7-8








てな訳でございまして、
吉村昭の「間宮林蔵」を、
数年ぶりに読み直しておりますが、
読書の話はまた別の機会に。






間宮林蔵墓とPCX150  「間宮林蔵墓」の案内板



いつもの通勤経路から、
ちょこっとだけ足を伸ばすと、
間宮林蔵の墓にお参り出来ると知り、
早速PCX150でお参りしてみました。



間宮林蔵墓  東京府指定史跡の碑



間宮林蔵の墓は、
茨城県の生家の、
すぐ近くにもありますが、
こちらの江戸の墓は、
生前に自ら建てたものと伝わります。
墓地は本立院という、
日蓮宗の寺院の墓地とのことですが、
お寺は西に350mほど離れています。
おそらく他の墓を移転して、
間宮林蔵のものだけが、
飛び地となって残ったものか。
墓地の右手には、
大正十四年(1925)に建てられた、
東京府指定史跡の碑があります。
現在は江東区指定史跡になります。




間宮林蔵墓石正面



墓石正面には、
水戸藩九代藩主・徳川斉昭の書で、
間宮林蔵蕪崇之墓」と刻まれていますが、
実はこの墓石は昭和二十年(1945)の、
東京大空襲で破損してしまい、
昭和二十一年(1946)に、
拓本を基に再建されたものなんだとか。



間宮林蔵墓石左側面の戒名



墓石左側面には、
「顕実院宗円日成大居士」と戒名が。


間宮林蔵墓石右側面


また墓石右側面には、
この墓の建立とその再建の経緯が、
「四代ノ後裔」により刻まれています。



間宮林蔵墓石裏面



墓石裏面には、
中央に大きく命日である、
天保十五年二月廿六日歿」と、
明治三十七年(1904)の贈正五位が、
榎本武揚の書で記されています。