国指定史跡
110-0015 台東区東上野6-18-4
五台山文殊院源空寺墓地内
さて、夕方の憂鬱な打合せは、
台東区の法人の支店デス。。。
ちょっとアポまで時間があったので、
「間宮林蔵の墓をお参りしたからには、
その測量の師である、
伊能忠敬の墓にもお参りしましょう!」と、
PCX150で東上野にやって来ました。
実はブログを始める前のホームぺージには、
掃苔コーナーに写真を載せておりましたが、
15年以上ご無沙汰の再訪になります。
すぐ北に道路を挟んである、
浄土宗の五台山文殊院源空寺の墓地デスが、
ちょっとお寺をお参りするまでは時間がなく、
お墓のみで大変失礼致します。
墓地のほぼ中心にある、
国指定史跡の伊能忠敬墓デス。
正面には「東河伊能先生之墓」
と、刻まれいます。
伊能忠敬が亡くなったのは、
文政元年(1818)ですが、
文政四年(1821)に、
『大日本沿海輿地全図』が完成した後の、
文政五年(1822)の建立の墓石です。
左右側面、裏面にびっしりと漢文で、
その功績が記されています。
伊能忠敬墓の左隣にあるのが、
「東岡高橋君墓」で、
その師である高橋至時の墓になります。
こちらも国指定史跡です。
弟子の伊能忠敬よりも19歳若く、
14年も先に亡くなった師匠ですが、
師よりも大きな墓を建てたのは、
はたして伊能忠敬の遺志だったのでしょうか。
高橋至時の墓右にも、
左右側面、裏面に漢文で、
功績が記されています。
墓地には他に、
高橋至時の長男の高橋景保や、
幡随院長兵衛夫妻之墓、
谷文晁・谷幹々夫妻の墓が立ち並びます。
#伊能忠敬墓#高橋至時墓#高橋景保墓#幡随院長兵衛夫妻之墓 pic.twitter.com/ccEBOP7qwd
— makoto-jin-rei@元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】 (@makotojinrei) 2022年2月9日