「虐殺のスイッチ 一人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか?」(ちくま文庫)

公式サイト https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480438812/




さて、今日は本当は、
房総マスツーリングの予定でしたが、
この悪天候とワタシやメンバーの一部に、
体調の悪い者がいたもので、
残念ながら中止・延期としました。
てな訳で一日家に篭っていたので、
珍しく貯金の読書ネタで失礼します。





集団は熱狂し、変異した
関東大震災朝鮮人虐殺、ナチスホロコーストクメール・ルージュの大量殺戮・・・・・・
なぜ悲劇は繰り返されるのか。そのメカニズムを解き明かす。
映画『福田村事件』のサブテキスト的一冊。

ナチスホロコーストクメール・ルージュの大量殺戮、関東大震災朝鮮人虐殺、インドネシア政権による虐殺、ルワンダフツ族ツチ族虐殺……、歴史を、世界を見渡すと、虐殺事件は繰り返し起き、あふれている。なぜごく普通の善良な市民が、同じように普通の人をいとも簡単に殺すのか、しかも大量に。キーになるのは、集団と同調圧力。集団が熱狂し変異して起きる虐殺のメカニズムを考える。
解説=武田砂鉄

【目次】
まえがき

1 なぜ人はこれほど残虐になれるのか カンボジアの残像
トゥール・スレン虐殺犯罪博物館にて
朝起きたら歯を磨くように人を殺す
惨劇の痕跡

2 どうしても学校や会社には適応できない 僕が虐殺に関心を抱いた理由(その1)
吃音のいじめられっ子だった頃
映画を「作る」楽しみ
アメリカン・ニューシネマの時代
役者を目指したものの……
ドキュメンタリーとの出会い
ドキュメンタリーはおもしろい!?

3 オウムを撮ることで気づいたこと 僕が虐殺に関心を抱いた理由(その2)
そして一人きりになった
宗教が救えるものの限界
なぜオウムは人を殺したの
オウムの側から社会を眺める
こうして人は歯車になる

4 生きものの命は殺してもいいのか
クジラと日本
生きものと知性
線引きの難しさ
調査捕鯨を続ける本当の理由
ウシやブタやイルカの殺され方

5 人を殺してはいけない理由などない
人は身勝手な生きもの
人は人を殺してはいけないと誰が言ったのですか?
人は人を簡単には殺せない
映画『フルメタル・ジャケット』から見えてくるもの
日本人の心は壊れにくいのか?

6 もとからモンスターである人などいない
殺人をどう罰するか
加害者は人間であり、モンスターではない
憎しみと愛情のはざまで
自由意志のあやうさ

7 この世界は虐殺に満ちている
虐殺の歴史を振り返ってみよう
①デマが罪のない多くの人を殺す ―― 関東大震災時の朝鮮人虐殺
ホロコースト ―― ナチスによるユダヤ人大量虐殺
③普通の人が普通の人を殺す ―― 政権側によるインドネシアでの虐殺
④一つの民族が殺しあい、人口が激減した国 ―― カンボジアでのクメール・ルージュによる大量虐殺
⑤民族の対立をラジオが煽る ―― ルワンダでのフツ族によるツチ族虐殺
加害者の本当の姿を知りたい
被害者感情と取材の難しさ

8 集団と忖度 虐殺の核にあるもの
「私が彼を」でなく、「我々が彼らを」殺すとは?
虐殺は誰かの指示がなくても始まる
アウシュビッツ強制収容所を訪ねて

9 善良な人々が虐殺の歯車になるとき
一人ひとりはみな優しい
凡庸な悪としてのアイヒマン
人は何に服従するのか
見えぬ命令系統
純粋さゆえの残虐さ

10 虐殺のスイッチを探る
集団化と同調圧力
過剰な忖度と異物の排除
お化け屋敷は、なぜ怖いのか?
集団が変異する熱狂の瞬間
虐殺のスイッチとは

転がる石のように あとがきに代えて

ちくま文庫版のためのあとがき

解説 武田砂鉄



最近、ブログで紹介したくなる本が少なかったので、
久しぶりの読書ネタですがこの本は本当に面白いです。
なぜ善良な隣人が大量殺人の歯車になるのか。
どうしても学校や会社に適応出来なかった著者、
森達也氏の視点の鋭さ。
長年の疑問が解けていく内容でした。



「日本人は組織と相性がよい。言い換えれば個が弱い。だから組織に馴染みやすい。周囲と協調することが得意だ。悪く言えば機械の部品になりやすい。だからこそ組織の命令に従うことに対し。個による摩擦が働かない」


終戦間際の特攻隊作戦立案や、
企業の汚職、不正の原因も、
まさにこれだと思います。
虐殺だけではなく、
いじめやとSMSの炎上等も皆これでしょう。
自らのアイデンティティを主張して、
自らの正義感を大上段に構えて振りかざし、
それ以外の集団に対して
カスやクズ、ゴミ、ゴキブリ等の冠をつけて差別する。
この記事に出てくる副管理人・モデレーターは、
まさにそんな人でした。
「私」が「彼」を非難するのではなく、
「我々」が「彼ら」を「カス」「クズ」と呼ぶのです。
「彼らと我々は違う」という境界を作り安心しているのでしょう。
それはとても恐ろしいことです。