宗派 天台宗
本尊 如意輪観世音菩薩
ご詠歌 補陀落や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬
649-5301 東牟婁郡那智勝浦町那智山8
公式サイト https://seigantoji.or.jp/
さて、いよいよ、
西国三十三ヶ所巡礼に出発します。
午前3時に起床。
カローラツーリングで、
習志野市内の自宅を午前3時半過ぎに出発。
午前4時少し前に、
船橋市内の実家で母を迎えました。
台風10号の影響か時折強い雨が、
降ったり止んだりしていますが、
ガラガラの京葉道、首都高を経て、
順調に東名に入りました。
東名に乗れば最初の休憩は、
大概、海老名SA下りですが、
カローラツーリングは、
高速はほとんど車線変更以外、
自動運転なので全く疲れもなく、
神奈川県をスルーして、
静岡県に入りました。
疲れは全くありませんが、
そろそろお腹がすいて来たので、
6時15分に新東名の、
静岡SA下りに立ち寄りました。
まだ時間が早いので、
営業中のお店はほとんどなく、
このフードコートの、
欽太郎うどんで朝食に致します。
釜揚げしらす丼【小】&そば定食(1000円)。
屋号が「うどん」だもの、
やっぱりうどんにすべきでした。
でも釜揚げしらす丼はまあまあ。
しかし、きつねも肉もあったのに、
全くもって迂闊でした。😭
二回目の休憩は、
午前8時50分に東名阪自動車道の、
亀山PA下りでトイレに寄りました。
三回目は高速を降りた後、
午前11時に道の駅パーク七里御浜。
正午12時少し前に、
那智山に辿り着き、
山の中腹で通行料兼駐車代を支払い、
青岸渡寺の駐車場に到着しました。
寸前まで強い雨が降っていましたが、
車を降りると弱くなり、
参拝の用意をしていると止んでいました。
いきなりの観音力を感じます。
那智の滝と三重塔。
この景色に憧れておりました。
想像していたよりもとても美しいです。
明治の廃仏毀釈で、
熊野三山の他の二社の、
熊野本宮大社、
熊野速玉大社の仏堂は、
全て廃されましたが、
この熊野那智大社の如意輪堂は、
西国三十三所の第一番札所であった為、
破却は免れたものの、
仏像や仏具は後に別院となる、
補陀洛山寺等に移されて、
空堂となっていたそうです。
明治七年(1874)になって、
熊野那智大社から、
天台宗の寺院として独立し、
「青岸渡寺」と名付けられて、
新たに復興しました。
元は熊野那智大社の、
如意輪堂だった本堂は、
重要文化財で天正十八年(1590)に、
豊臣秀吉によって再建されたもの。
桁行九間・梁間五間、
一重・入母屋造、
向拝一間、こけら葺です。
こちらで納経をして、
最初の御朱印を頂きました。
参道上から仁王門を見下ろします。
写真は撮り忘れましたが、
昭和八年(1933)の再建で、
金剛力士像二体は湛慶の作と伝わります。
この宝篋印塔は元享二年(1322)建立の、
日本最古の宝篋印塔で重要文化財。
梵鐘は元亨四年(1324)の鋳造で、
鐘楼は明治三十六年(1903)の再建。
「日本の凄い神木」にも載っている、
この那智の樟は、推定樹齢800年、
幹回り8.3m、樹高25m。
根幹に空洞があり、
「胎内くぐり」が可能です。
廃仏毀釈前には一体であった、
熊野那智大社にもお参りしました。
熊野本宮大社・熊野速玉大社と共に、
熊野三山を構成するこの熊野那智大社。
主祭神は熊野夫須美大神で、
旧社格は官幣中社で、
現在は神社本庁の別表神社。
嘉永七年(1854)から、
慶応三年(1867)頃の建立と推定される、
計8棟が重要文化財に指定されています。
この御縣彦社もその一棟になります。
三重塔は昭和四十七年(1972)の再建ですが、
那智の滝と並ぶと本当に美しいです。
那智の滝は大己貴神が現れた御神体であり、
あくまで熊野那智大社の別宮・摂社である、
滝瀧神社という位置付けになります。
神仏習合時は本地仏を観音菩薩としておりました。
滝の飛沫に触れることによって、
延命長寿の霊験があるという伝説があります。
さて、那智の滝から車に戻る途中、
また雨が降り出しました。
今回の観音巡礼はまだ始まったばかりですが、
すでに観音力に圧倒されております。
⇩ ⇩ ⇩
【次の記事】