宗派 東寺真言宗 大本山
本尊 如意輪観世音菩薩
ご詠歌 後の世を 願うこころは かろくとも ほとけの誓い おもき石山
520-0861 大津市石山寺1-1-1
公式サイト https://www.ishiyamadera.or.jp/
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さて、第十二番の岩間寺から、
第十三番のビッグネーム、
石山寺にやって来ました、
時刻は午後12時半前ですが、
神社仏閣に興奮すると、
お腹が減らない特異体質の私です。
大変申し訳ありませんが、
母にも付き合ってもらいましょう。
さてさて、石山寺。
私自身、高校の修学旅行以来、
38年ぶりの訪問。
琵琶湖の南端近くに位置し、
琵琶湖から唯一流れ出るという、
瀬田川の右岸にあります。
本堂は国の天然記念物の、
「石山寺硅灰石」の、
巨大な岩盤の上に建っていて、
これが寺名の由来となっています。
石山寺縁起絵巻によれば、
聖武天皇の発願により、
天平十九年(747)に良弁が、
聖徳太子の念持仏であった、
如意輪観音をこの地に祀ったそうで、
聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたって、
大量の黄金を必要としていたようで、
良弁に吉野の金峯山を祈らせます。
金峯山はその名の通り、
金の山だったようで、
良弁の夢に吉野の蔵王権現が現われますが、
「金峯山の黄金は弥勒菩薩が、
56億7千万年後に用いるもので、
大仏鍍金のために使うことはできない。
近江国志賀郡の湖水の南に、
観音菩薩の現われたまう土地があるので、
そこへ行って祈るがよい」
と、告げたので、
その地を訪れた良弁は、
比良明神(白鬚明神)の化身である老人に導かれて、
巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の、
六寸の金銅如意輪観音像を安置して、
草庵を建てます。
二年後、陸奥国から黄金が産出され、
元号を天平勝宝と改めますが、
如意輪観音像がどうしたことか、
岩山から離れなくなってしまいます。
やむなく如意輪観音像を覆うように、
堂を建てたのがこの石山寺の起源です。
実際、この石山の地は、
東大寺を建立する為に、
近江国各所から伐採した、
木材を集めておく場所であったそうで、
東大寺や良弁と強い繋がりがあったのでしょう。
東大門は重要文化財で、
源頼朝によるもので、
建久元年(1190)の建立伝わります。
拝観料を納める志納所の先の、
塔頭・明王院では、
今年から来年にかけて、
紫式部を主人公とした大河ドラマ、
『光る君へ』の大河ドラマ館が開館しています。
ドラマは毎週楽しく観ておりますが、
今回私はスルーします。
この手の企画にいい思い出はありません。
天気は今は晴れていますが、
硅灰石の池にあるくぐり岩は、
濡れて滑るので立ち入り禁止。
本堂まで伸びる石段の上に、
この大杉がありましたが、
特に何らかの指定はないようです。
本堂前の境内。
国の天然記念物で、
「石山寺硅灰石」の登録。
石山寺の名の由来となった岩で、
石灰岩が変成して出来た珪灰石です。
日本の地質百選に選ばれています。
珪灰石の上に国宝・多宝塔が見えますが、
これについてはまた後で触れます。
毘沙門堂は、
兜跋毘沙門天を祀っていて、
安永二年(1773)年の建立。
観音堂はお馴染みの、
西国三十三ヶ所の写しを祀る、
宝暦年間(1751-1764)の建立。
重要文化財の蓮如堂は、
ここになぜかなんでか、
浄土真宗本願寺派の、
蓮如上人を祀っていますが、
そもそもは三十八所権現社の、
拝殿だったようです。
国宝の本堂ですが、
神社でいう本殿と拝殿のような、
正堂と礼堂を合の間で繋いだ複合建築。
正堂は南側の傾斜地に、
南向きに建てられていて、
礼堂部分が懸造となっています、
現存する正堂は三代目で、
永長元年(1096)の再建で、
慶長七年(1602)に、
合の間と礼堂が改築されて、
現在の形式となりました。
合の間の東端に、
紫式部源氏の間と称する、
紫式部の像が安置されているんだけど、
これってどうなの?
正直いる?
どう考えても紫式部の身分で、
本堂のこんなところに、
部屋を貸してもらえる訳ないでしょう。
私にはどうしても不要にしか見えません。
本堂で御朱印を頂戴して、
入山+内陣セット券1000円を購入したので、
本堂の内陣を心ゆくまで参拝しました。
三十八所権現社の脇を通過して、
重要文化財の校倉造の経蔵を見て、
更に先に進みます。
重要美術品の紫式部供養塔は、
鎌倉時代中期の石造の宝篋印塔ですが、
笠が三重となっている珍しい作り。
他にも多数の宝篋印塔や、
松尾芭蕉句碑が並びます。
先ほど少し触れた国宝・多宝塔ですが、
源頼朝の寄進で建久五年(1194)の建立。
日本最古の多宝塔だそうで、
快慶作の重要文化財の大日如来像を安置します。
この月見亭は境内の東の突端部にあります。
瀬田川や琵琶湖を望む景勝地にあって、
ここから見る月は、
「近江八景 石山の秋月」の図で有名ですが、
現代ではほとんど琵琶湖が見えません。
鐘楼も重要文化財で、
やはり源頼朝の寄進と伝わりますが、
様式などから鎌倉時代後期作と考えらているようです。
梵鐘は平安時代作と推定される重要文化財です。
御影堂も重要文化財で、
弘法大師、良弁僧正、淳祐内供を祀ります、
現存の建物は室町時代と推定されていますが、
享保年間(1716-1736)大きな改装を施しています、
さて石段を降りて、
最後は明治時代後期建立の、
大黒天堂で石山寺を後にします。
駐車場に戻る寸前、
来る時には行列が出来ていた、
叶匠寿庵石山寺店に空席がありました。
昼食にはなりませんが、
小腹を満たす為に立ち寄りますか。
とてもリーズナブルな価格設定。
石餅かき氷・抹茶(600円)。
石餅で少しお腹が落ち着き、
抹茶のかき氷で、
身体がクールダウンしたので、
もう少しこのまま巡礼を続けられそうです。
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