西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

【西国第十六番】音羽山 清水寺 その二

宗派 北法相宗 大本山
本尊 十一面千手千眼観世音菩薩
ご詠歌 松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は 涼しかるらん
605-0862 京都市東山区清水1-294
公式サイト https://www.kiyomizudera.or.jp/



音羽山 清水寺 → その一




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清水寺門前近くの駐車場のカローラツーリング



さて、午前10時半に清水寺門前の、
コインパーキングにすんなり到着しました。
今回の西国巡礼の行程で、
一番懸念しておりましたのは、
ここ清水寺の参詣でした。
関西支社の同僚の話によれば、
京都の著名な神社仏閣周辺は、
とんでもないオーバーツーリズムで、
路線バスは満員で乗れず、
有料駐車場はいつも満車で、
歩行者が渋滞を起こして、
歩道が前にも進めない状況とか。



清水寺参道




さて、清水寺参道の、
清水道産寧坂二年坂
私ども東の親子から見れば、
結構な外国人観光客の数ですが、
台風の接近予報と朝からの雨で、
今日はこの状況でも
驚くほどに空いている朝なんだとか。
いつもは駐車場待ちに、
何台も並んでいるそうです。
これも観音様の功徳、観音力でしょうか。




陸前高田流木松大日如来坐像の案内  陸前高田流木松大日如来坐像



参道のお土産屋さんに並んで、
陸前高田流木松大日如来坐像」
の、案内がある一宇がありました。
あの奇跡の一本松が大日如来となって、
今、ここに祀られているそうです。



清水寺



さて、清水寺ですが、
8年前の前回のその一で、
その草創縁起を書いていなかったので、
今回初めて改めて紹介致します。
宝亀九年(778)のこと、
興福寺の僧で子島寺で修行していた賢心は、
夢のお告げで東山のこの音羽山に至ります。
金色の水流を見出した賢心がその源を辿ると、
そこにはこの山で滝行を行っていた、
行叡という白衣の修行者に会います。
二百歳になるという行叡は賢心に、
「あなたが来るのを長年待っていた。
私これから東国へ旅立つので後を頼む」
といい残して去って行きました。
行叡は観音の化身であったと悟った賢心は、
行叡が残していった霊木に千手観音像を刻み、
行叡の旧庵に安置します。
これが清水寺の開山となります。
その二年後の宝亀十一年(780)、
鹿を追って音羽山に入り込んだ坂上田村麻呂が、
修行中の賢心に出会いました。
田村麻呂は妻の病気平癒の為、
鹿の生き血を求めていましたが、
賢心より殺生の罪を説かれ観音に帰依して、
自邸を観音を祀る本堂として寄進します。
後に東国の蝦夷平定を命じられ、
征夷大将軍となった田村麻呂は、
自身が建立した清水寺に平定を願い参拝。
戦いに勝利して都に凱旋した田村麻呂は、
延暦十七年(798)延鎮と改名した賢心と、
本堂を大規模に改築しました。
清水寺ではこの縁起により、
行叡を元祖、延鎮を開山、
田村麻呂を本願と位置づけているそうです。



馬駐




仁王門の右、
これはとても珍しい、
参詣者が馬を繋いだ場所で、
馬駐という重要文化財室町時代後期の再建。
他では現存するものを見たことがありません。



仁王門  




仁王門も重要文化財室町時代の再建。
朱塗りの門なので赤門とも呼ばれています。
金剛力士鎌倉時代末期のもので、
扁額の「清水寺」は藤原行成の筆。



隋求堂・経堂・三重塔



左、随求堂は、
元は塔頭・慈心院の本堂で、
享保三年(1718) の移築。
中央、経堂は重要文化財で、
寛永十年(1633)再建。
内部には宝冠釈迦如来と、
脇侍の文殊菩薩普賢菩薩の、
釈迦三尊像を安置します。
右、三重塔も重要文化財で、
寛永九年(1632)の再建で高さ31m。




轟門  本堂入口



轟門も重要文化財で、
寛永八年(1631)から、
寛永十八年(1639)の再建。
さて、国宝の本堂に入ります。
徳川家光寄進で寛永十年(1633)です。



清水の舞台からの景色




「清水の舞台から飛び降りる」
で、有名なこの舞台ですが、
元禄七年(1694)から元治元年(1864)の170年、
飛び降りた人は未遂を含み235件で、
死亡者は34人だったそうです。
これはあくまで自殺ではなく、
命をかけた願掛けだったようですが、
明治五年(1872)に京都府が、
「舞台飛び落ち」を禁止する布令を出し、
それ以降は影をひそめたんだそうです。




第16番御朱印



本堂でお参り・納経の後、
その先の御朱印所で御朱印を頂戴しました。



釈迦堂  百体地蔵堂




本堂の先に建つ重要文化財の釈迦堂は、
寛永八年(1631)の再建。
昭和四十七年(1972)の土砂崩れで崩壊するも、
三年後に旧材で復元されたそうです。
百体地蔵堂の百体のお地蔵様にご挨拶をして先へ。



阿弥陀堂  阿弥陀如来像


釈迦堂の右にあり、
奥の院とつながる、
阿弥陀堂重要文化財で、
寛永八年(1631)の再建。
文治四年(1188)に法然が、
ここで念仏を修したとのことで、
後柏原天皇筆の、
「日本最初常行念仏道場」
の、勅額が架かります。



阿弥陀堂から奥の院へ



阿弥陀堂から重要文化財奥の院へ。
寛永十年(1633)再建。
国宝本堂を見渡すことができます、
崖にせり出した懸造の建物。



奥の院から見た清水の舞台



ここから見る本堂が一番美しいです。
やはり国の宝ですね。




すみません。
ここで一言だけ苦言を言わせて下さい。
外国人かどうかは関係はありませんが、
宗教的な建築物や旧跡等を訪れる際には、
明らかにその宗派、宗旨とは異なる、
宗教観、価値観も持つ人々は、
それらを信じる人々の参拝・参詣を優先し、
あくまでそれを見学させて頂いているということを、
自覚した上で行動を遠慮をして下さい。
例えるなら農道を走る一般車と同じです。
自分の写真に写ってしまうから邪魔だと、
祈る人々をどけようとするなんて言語道断。
この意味が伝わるかどうか分かりませんが、
Google翻訳でメッセージを貼ります。


请允许我在这里提出一项投诉。
不管你是不是外国人,
参观宗教建筑或历史古迹时,
与那个教派或者教派明显不同,
同样具有宗教观点和价值观的人,
优先考虑信仰这些事物的人们的崇拜和朝圣,
我只是观察这个
请注意这一点并避免采取任何行动。
比如,和普通汽车在农道上行驶是一样的。
如果因为它出现在你的照片中而造成麻烦,
试图推开正在祈祷的人是令人愤慨的。
我不知道这是否有意义,但是
将消息粘贴到 Google 翻译中。

여기서 한마디만 쓴말을 하게 해주세요.
외국인인지 여부는 상관없지만,
종교적인 건축물이나 구적 등을 방문할 때에는
분명히 그 종파, 종지와는 다른,
종교관, 가치관을 가진 사람들은
그들을 믿는 사람들의 참배·참배를 우선해,
어디까지나 그것을 견학시키고 받고 있다는 것을,
자각한 다음 행동을 삼가해 주십시오.
비유한다면 농도를 달리는 일반차와 같습니다.
자신의 사진에 찍혀 버리기 때문에 방해라고,
기도하는 사람들을 가려고 하는 것은 언어 도단.
이 의미가 전해지는지 모르겠지만,
Google 번역에서 메시지를 붙여넣습니다.

sorry.
Let me just make one complaint here.
It doesn't matter whether you are a foreigner or not,
When visiting religious buildings or historic sites,
Clearly different from that sect or sect,
People who also have religious views and values,
Prioritizing the worship and pilgrimage of people who believe in these things,
I am just observing this,
Please be aware of this and refrain from taking any action.
For example, it is the same as a regular car driving on a farm road.
If it's a nuisance because it will appear in your photo,
It's outrageous to try to push away people who are praying.
I don't know if this makes sense, but
Paste the message using Google Translate.

音羽の瀧  清水の舞台を下から眺める




さて、最後は、
清水寺の開創の起源であり、
寺名の由来となった音羽の瀧から、
清水の舞台を下から眺めて、
次の第十七番・六波羅蜜寺を目指します。



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