日本百観音順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

【坂東②第二番】海雲山 岩殿寺 (岩殿観音) その二

宗派 曹洞宗
本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 立ち寄りて 天の岩戸を押し開き 仏をたのむ 身こそたのしき
249-0001 逗子市久木5-7-11




海雲山 岩殿寺 → その一




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岩殿観音石標  岩殿寺駐車場のカローラツーリング




さて、9時50分過ぎに、
杉本寺を出まして、
一旦鎌倉市内から、
逗子市内に入りまして、
住宅地の細い路地を走り、
10時10分に第二番の、
岩殿寺に辿り着きました。
こちらには無料の、
参拝者駐車場があります。
音霊場では珍しい、
曹洞宗のお寺です。


山門  岩殿寺縁起



山門に置かれている箱に、
参拝料100円を納めます。
こちらは 養老五年(721)に、
西国三十三所を創始した、
あの徳道上人が創建し、
行基菩薩が十一面観音像を造立して、
安置したと伝わります。
正暦元年(990)には、
西国三十三所を中興した、
花山法皇が来山、
承安四年(1174)には、
後白河法皇が来山し、
ここを坂東三十三所の二番と定めました。
鎌倉時代には源頼朝により寺領が寄進され、
その後一旦衰退しますが、
天正十九年(1591)には、
徳川家康によって再興しました。
しかし廃仏毀釈で再び衰退します。



観音堂に向かう参道  



納経所のある本堂を左に見ながら、
まずは山の上にある観音堂を目指します。




利生堂(納経堂)  


右には納経された写経を納める利生堂。



子育地蔵尊



更に進むと左手に、
関東百八地蔵尊の一つ、
享保元年(1716)作の子育地蔵尊
背中に赤ちゃんを背負っています。


観音堂に向かう石段


旧な石段を登りますが、
まだ観音堂は遠いです。



爪掘地蔵尊  


この爪掘地蔵尊も、
関東百八地蔵尊
この地を訪れたという弘法大師?が、
爪で掘ったという伝説があります。



報恩碑



報恩供養碑は、
前述の、
・花山法皇
後白河法皇
源頼朝
徳川家康
の4名の名が記されています。



観音堂  岩殿寺観音堂の案内


さて、観音堂は、
逗子市指定重要文化財で、
享保十三年(1728)の建立。
現在は板葺ですが、
昭和六十三年(1988)までは、
茅葺でした。
ご本尊の観音様は、
現在下の本堂に祀られています。



弁財天  歴代住職墓




弁天堂の池は、泉鏡花が、
昭和十年(1935)に寄進したもので、
鏡花池と名付けられています。
その先には歴代住職の墓があり、
いくつもの卵塔が立ち並びます。




奥の院  石仏十一面観音像


観音堂の裏手に、
この奥の院があります。
養老年間(717-724)、
徳道上人と行基菩薩が、
十一面観音のお姿を観じ、
この岩殿に社と石像を、
祀ったとのことですが、
現在は落石が危険の為、
あまり近づくことのないよう、
柵が置かれておりました。



岩殿観音堂からの景色



折角登った観音堂から、
素晴らしい景色を堪能してから、
下の本堂で納経し、
ご本尊にお参りをしてから、
御朱印を頂戴しました。



第二番御朱印




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