日本百観音順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

【坂東②第三番】祗園山 安養院 田代寺 (田代観音) 〜伝・北条政子墓〜 その二

宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
札所本尊 千手観世音菩薩
ご詠歌 枯れ木にも 花咲く誓ひ 田代寺 世を信綱の 跡ぞ久しき 
248-0007 鎌倉市大町3-1-22




祗園山 安養院 田代寺 → その一





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安養院  



さて、10時30分過ぎに、
第二番の岩殿寺を出まして、
また鎌倉市内に戻り、
11時少し前になって、
第三番の安養院に着きました。



安養院関係車両駐車場  リパーク鎌倉大町2丁目のカローラツーリング



手元のガイドブックには、
無料の駐車場があると書かれていますが
現在は駐車することが出来ません。
斜向かいのリパーク鎌倉大町2丁目に、
カローラツーリングを駐車しました。



坂東第三番田代観音石標  安養院の案内




この寺は、長楽寺・善導寺・田代寺という、
三つの前身寺院が関係しております。
元々この地には浄土宗の、
尊観が開いた善導寺がありました。
長楽寺は嘉禄元年(1225)に北条政子が、
頼朝の菩提を弔う為に長谷笹目ヶ谷に、
願行を開山として創建した寺で、
山号祇園山とする律宗の寺院した。
長楽寺は元弘元年(1333)兵火により焼失し、
善導寺に統合されて安養院長楽寺となります。
安養院という院号は政子の法号
「安養院殿如実妙観大禅定尼」から。
元々坂東第三番札所だった田代寺は、
建久三年(1192)に、
田代信綱が尊乗を開山として、
比企ヶ谷に建立したものですが、
延宝八年(1680)の火災を機に、
安養院に統合されます。
千手観音は田代寺にあったものなので、
田代観音と呼ばれています。



山門


四脚門形式の山門に、
参拝料200円を納める箱があります。



日限地蔵



山門左に地蔵堂があり、
ここにも弘法大師?作という、
日限地蔵が祀られています。



善導寺開山尊観上人御手植えの槇  樹齢700年の大マキ




地蔵堂の右手には、
善導寺開山の尊観上人の、
御手植えの槇があります。
推定樹齢700年の大樹です。
鎌倉市指定天然記念物。



本堂



本堂内は撮影禁止ですが、
寺の本尊の室町時代作の、
阿弥陀如来坐像があり、
その背後に札所本尊の、
千手観音立像を安置します。



境内の案内




さて本堂裏に行ってみましょう。




“平景清の娘・人丸の墓"




平景清の娘だという、
人丸の墓があります。
調べてみると能の、
「景清」の登場人物。
平家の武将悪七兵衛景清の娘、
鎌倉の亀が江の谷にいた人丸は、
父が日向国に流されていると聞き、
従者を連れて父に会いに、
はるばる日向国に向かいます。
盲目の景清は宮崎で藁小屋に住み、
乞食同然の暮らしをしています。
そこに人丸と従者が通りかかり、
目前にしているのが景清だと気づかず、
景清の居場所を問います。
景清は知らぬと答えたので、
人丸たちは去ります。
景清はその昔、尾張国の遊女と親しみ、
娘を一人儲けていましたが、
女の子だったので、
鎌倉に預けていました。
それが会いに来たのだと、
景清は気がつきます。
人丸の従者が景清の事を、
里の者に尋ねると、
里人は先ほど人丸たちが尋ねた、
乞食こそが景清だと教えます。
人丸たちは里人に連れられて、
再び景清の住いに戻ります。
里人が景清はいるかと呼びかけると、
名を呼ばれた景清は怒りますが、
里人が人丸を景清に引合せると、
父も娘も互いに涙するばかりでした。
景清は人丸の所望により、
八島の合戦で逃げようとする源氏の侍、
三保の谷十郎の兜のしころを、
引きちぎったことなどを語ります。
語り終えて景清は、
人丸に自分の後生を頼み、
人丸は父と別れて鎌倉に帰ります。





石仏群



他にも様々な石仏群が並びます。



宝篋印塔と北条政子墓  宝篋印塔と北条政子墓の案内  



宝篋印塔と北条政子墓です。



重要文化財の宝篋印塔



重要文化財の安養院宝篋印塔は、
鎌倉最古の宝篋印塔で、
善導寺開山の尊観の墓といわれています。
徳治三年(1308)の建立。





伝・北条政子墓  北条政子墓の碑文



伝・北条政子墓は、台座に、

一位政子
 御法号
安養院殿
如実妙観
大禅定尼
喜禄元年
乙酉七月十三日

と、あります。
まず北条政子の官位は従二位です。
北条政子という呼称は、
後世になってから便宜上付けられたもの。
また没年は嘉禄元年(1225)、
命日は七月十一日といわれています。
と、いうことでこれは、
この建立年月日ではなく、
政子の亡くなった、
年月日を記しているのでしょう。
(建立の年ならば、前述の、
鎌倉最古の建立と矛盾します)
おそらく源頼朝墓と同様に、
かなり後世になってから、
建てられたものなのでしょう。
北条政子の墓とされるものは、
鎌倉五山第三位の寿福寺にもあります。





祇園山



本堂を真裏から見て、
その左手側に、
祇園山と呼ばれる、
白砂の山肌がありますが、
あれ?、祇園山長楽寺は
長谷にあったんじゃなかったっけ?




納経所から本堂を見る




納経所で御朱印を待ちながら、
十三重石塔越に本堂を眺めます。




第三番御朱印




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