【関東第十一番】亀頂山 密乗院 三寶寺 その二 ~石神井不動尊~

宗派 真言宗智山派
本尊 不動明王
177-0045 練馬区石神井台1-15-6



 
亀頂山 三寶寺  → その一【御府内第十六番】







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三宝寺とレブル1100




田無不動尊總持寺から、新青梅街道で、
石神井不動尊三宝寺にやって来ました。
コチラは御府内八十八ヶ所霊場の、
第十六番札所でもあるので、
実は16年前の"その一"でお参りしております。
武蔵野三十三観音の第三番、
豊島八十八ヶ所の第十六番札所でもあります。
また石神井公園三宝池はコチラが由来です。



三宝寺参道  御成門



駐車場から一旦外に出て、
正面から入り直して参道を進むと、
この御成門と呼ばれる山門があります。
三宝寺は応永元年(1394)の創建。
創建当時は石神井城主、
豊島氏からも帰依を受け、
豊島氏滅亡後は後北条氏
徳川家からも保護を受けます。
徳川家光の時代に鷹狩の際に、
休憩場としても使われたことで、
朱印地十石と無本寺の格式を与えられ、
山門は徳川家ゆかりの門ということで、
御成門と呼ばれましたが、
現在のこの門は文政十年(1827)の建立。



三宝寺境内案内図




境内はとても広く、
この写真付きの案内図があります。




大黒堂・地蔵堂




参道左手には、
この大黒天・子育千体地蔵を祀る、
大黒堂地蔵堂
地下室が地蔵堂で六道曼荼羅の、
染川英輔画伯作「天国地獄の図」があるとか。



本堂



本堂の中は伺えず、
本尊の不動明王にご挨拶は出来ません。



四国八十八ヶ所お砂踏み霊場  大師堂



本堂の左には四国八十八ヶ所お砂踏み霊場があり、
その更に奥には御府内霊場の札所であった、
弘法大師空海を祀る大師堂が奥の院としてあります。



根本大塔  平和観音と観音堂



また本堂左の奥には根本大塔と、
高さ9mの十一面観音像・平和大観音菩薩



観音堂  観音堂内



観音堂内にはこの如意輪観音が祀られていました。



長屋門(勝海舟邸の門)  長屋門の部屋




境内の南東にはこの長屋門があります。
これは元々は勝海舟の邸宅にあった門で、
海舟書屋という扁額が掲げられています。
赤坂・氷川から成増駅近くにあった遊園地、
兎月園に移設されますが、
兎月園の閉園後、コチラに移設されました。
16年前に伺った際には、
コチラの部屋にピアノがあり、
お寺のご家族と思われるお子さんが、
練習をしていましたが、
今は使われていないようです。




第11番朱印





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【関東第十番】田無山 大乗院 總持寺 ~田無不動尊~

宗派 真義真言宗
本尊 大日如来
188-0011 西東京市田無町3-8-12



さて今朝はMatt.Jさんの家に押しかけて、
自分持っている工具では、
どうしても装着出来ないパーツを、
レブル1100に付けてもらいました。
(これについては後日別記事に致します)
Matt.Jさん「これからどこか走るんですか?」
ワタシ「いや今日は特に考えていなんデスよ」
う~ん、今年中に残り九ヶ寺となった、
関東三十六不動霊場を結願したいんだけど、
年末押し迫ってくれば、
家庭の用事も増えてくるかなぁ。
えーい、行っちゃうか。
てな訳でまずは残りで、
一番遠い田無を目指して、
京葉道路首都高速に乗りました。









田無不動尊とレブル1100



高井戸から下道をトコトコ走り、
西東京市の"田無不動尊"こと、
田無山・大乗院・總持寺にトウチャコしました。
コチラは多摩八十八ヶ所霊場の、
第三十三番札所でもあるとか。



山門  金剛力士と広目天・多聞天


この山門の表は、
阿吽の金剛力士=仁王ですが、
背面には広目天多聞天が祀られた、
珍しいフォーメーション。



本堂



総持寺は元和年間(1615-1624)に、
法印権大僧都・俊栄和尚が、
ここから少し離れた場所に、
法界山西光寺として創建しますが、
慶安年間(1648-1651)に、
現在地へ移転したそうで、
元々、神仏分離まではすぐ隣にある、
尉殿権現社(現・田無神社)の、
別当寺だったそうです。
明治八年(1875)に西光寺と、
近隣の密蔵院、観音寺の三寺が合併して、
田無山総持寺と改称しました。
この本堂は、嘉永三年(1850)の建立とか。



ケヤキと妙見堂  妙見堂内




本堂落成を記念して普請成就供養が行われ、
その際に樹木を植栽したそうなんですが、
その中の一本がこの妙見堂の脇にある、
ケヤキであると言い伝えられています。




第10番朱印





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【関東第十六番】竹園山 最勝寺 教学院 (目青不動尊)

宗派 天台宗
本尊 上品上生阿弥陀如来
154-0004 世田谷区太子堂4-15-1





教学院とレブル1100




世田谷区内の得意先を訪問したので、
今年2月7日にご朱印を頂けなかった、
等々力不動尊に立ち寄りました。
また同じ日に緊急事態宣言発令中、
ご朱印の授与を中止していた、
目青不動尊・竹園山最勝寺教学院に、
改めてお参り致します。








不動堂とレブル1100




まずは元々は閻魔堂だったという、
不動堂にお参り致します。




お前立 青銅不動明王座像




お前立の青銅不動明王座像に、
不動明王真言を唱えてご挨拶。



本堂



不動堂の向かって左奥にあるのが、
上品上生阿弥陀如来を祀る、
本堂かと思われますが、
残業ながら非公開のようです。




庫裡



本堂の左手前にある庫裡の、
左側の勝手口が納経所になっています。



第16番ご朱印



無事、第十六番のご朱印を頂戴しました。




目青不動尊リーフレット(裏)  目青不動尊リーフレット(裏)




ホームページはないようですが、
詳細なリーフレットを頂戴したので、
お寺の縁起はこちらをご覧下さい。


    救学院縁起
 創建は応長元年(1311)で、江戸城紅葉山
にあったという。本尊は阿弥陀如来であり、
開基は法印玄応大和尚である。その後太田道
灌の江戸城築城により麹町貝塚に移され、ま
た赤坂三分坂に移り、慶長九年には青山南
に3000坪余りの土地を拝領してみたび移転し
た。青山南町は百人町ともいわれ、百人の同
心が住んでいたという。この同心百人のうち
37人が教学院の檀家に、63人が信者になり
念仏講を結んでいた。この講の維持に一人三合
宛の米を奉納していたので「三合山」とも呼
ばれ親しまれていた。この佛米拠出により閻
魔堂(現在の不動堂)が建立され、双盤念仏
が盛んに行われていた。
 当院は当初は山王城琳寺の末寺であったが、
小田原城主・大久保加賀守忠朝の書提寺とな
るに及び、東叙山寛永寺の末寺となった。
明治8年には境内地100坪をさいて「幼童学
校」を創立したが、後に青山南町小学校に発
展した。
 その後太政官布達により、明治42年より3ヵ
年を要して世田谷の現在地に移転し現在に至っ
ている。

 目青不動麻布谷町にあったという正善寺
(観行寺)の本尊であったものが、同寺の廃寺
にともない教学院に遷し奉られたものである。
華厳経巻七・賢首菩薩第八に説かれるところ
の天上界と地上界の間にたなびく青い雲の色
に基づく不動尊であることから、天と地の連
絡をしてくださるといわれ、いつしか「緑結
びの不動」として信仰を集めている。
目青不動尊は慈覚大師円仁ご自作の尊像で
あり、秘佛としてお厨子に納められており公
開されていない。お前立の不動尊は、座高1
メートル余りの青銅製で、寛永19年(1642)
正月11日の銘がある。丸顔で上下の牙歯がな
く、微笑を湛えているようにも見えるえくぼ
が女性的である。
 また江戸時代より五色不動(五眼不動)の
一つに数えられ、東西南北中央の五方角と色
(五色)を合わせたもので、将軍家光の時代に
成立したといわれている。
 昭和61年に、関東三十六不動霊場の第十六
番に加えられ多くの巡拝者にお参りされてい
る。

目青不動御詠歌】
あらたなり うきよにくるしむ もろびとは
 たすけたまへる めあおふどうそん

【寺宝】
 本尊上品上生阿弥陀如来
 秘佛目青不動明王
 青銅不動明王座像
 閻魔大王座像
 奪衣婆座像
 宇賀神像 ・・・・・ほか

【著名人の墓】
 小田原城主大久保氏歴代
 野州烏山城主大久保氏歴代
 厚木荻野山中藩大久保氏歴代
 岡本秋暉(画家)
 岡本碧巌(書家・秋暉の長男)
 古畑玉函(小田原藩漢学者) ・・・・・ほか


 また、境内には世田谷区名木百選に挙げら
れている「チシャノキ」があるが、青山から
移転の際に、荷馬車二台で運ばれたというか
ら、既に100年以上の古木である。



ありゃ?、「チシャノキ」気がつかなかった。
お墓も掃苔すればよかったなぁ。
また近くに来たら再訪致します。











【関東第十八番】泰叡山 護國院 瀧泉寺 (目黒不動尊) その二 ~青木昆陽墓〜

国指定史跡 青木昆陽
宗派 天台宗
本尊 不動明王
153-0064 目黒区下目黒3-20-26
公式サイト http://park6.wakwak.com/~megurofudou/





泰叡山 護國院 瀧泉寺 (目黒不動) → その一




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さて本当は今日は、
関東三十六不動霊場を、
時間が許す限り、 
PCX150で右往左往、
お参りする予定でしたが、
やはり緊急事態宣言下では、
ご朱印を中止している、
お寺が多数あるようです。



目黒不動尊門前のPCX150  仁王門



てな訳で、
おそらくご朱印が大丈夫だと思われる、
巨刹の目黒不動尊を最後に致します。
お参りするのは何年ぶりだろう。
ブログでは16年ぶり二度目の記事になります。



独鈷の滝




こちらも先ほどの、
等々力不動尊と同様に、
独鈷の滝がありまして、
今も滾々と湧水を湛えます。
やはり水神からの不動信仰と思われますが、
それは後だしジャンケンかもしれませんが、
ちょっと違うようデス。
開基は大同三年(808)と関東最古の不動霊場
お寺の縁起を要約しますと、、、
慈覚大師円仁が15歳の時に、
師の広智阿闍梨に伴われて、
故郷の下野国から比叡山延暦寺の、
伝教大師最澄の元へ向かう途中に、
この目黒の地に立ち寄ったその夜の夢で、
神人が枕の上に立ち現れて、
『我、この地に迹を垂れ、
魔を伏し、国を鎮めんと思うなり。
来って我を渇仰せん者には、
諸々の願ひを成就させん』と告げたので、
夢から覚めた後にその尊容を自刻。
その後、慈覚大師円仁は、
唐の長安にある青竜寺で不動明王に拝し、
あの神人がこの明王であると分かって、
帰朝して堂宇を建立して祀ったのがこちらです。
慈覚大師が寺地を定めようと、
長安青竜寺に清い滝があったのを思い出し、
試みに独鈷を投げたところ、
たちまち泉が湧き滝となったのが、
この独鈷の滝であると伝えられています。
 
 

本堂前の鳥居  アルコール消毒液の置かれた手水舎
本堂


本堂前の鳥居は山王鳥居デス。
さて手水舎は水が停められて、
塞がれておりますが、
アルコール消毒液が置かれているのは、
こちらで初めて見ました。( ゚Д゚)
前回は本堂内で参拝致しましたが、
やはりコロナ対策で立入禁止デス。



天和三年(1683)建立銅造大日如来坐像



本堂の真裏にある、
不動明王本地仏である、
露坐の銅造大日如来坐像は
天和三年(1683)建立。
江戸時代には堂舎の中にあったようですが、
一体いつの時代に外に、
追い出されてしまったんだろう。



青木昆陽墓への道標



飛び地境内にある、
北側の墓地に、
国の史跡である、
青木昆陽墓があります。



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青木昆陽 - Wikipedia




青木昆陽墓所  青木昆陽墓案内
甘藷先生墓  甘藷先生墓側面



昆陽は下目黒の、
大鳥神社の近くに別邸があったそうで、
こちらに墓を建てたそうですが、
墓石は昆陽自ら「甘薯先生墓」と刻んだ、
生前に建てた寿塔だそうです。
自称の甘薯先生なんだね。



サツマイモ畑と青木昆陽石像



毎年十月二十八日の縁日には、
昆陽の十月十二日の命日を偲び、
甘藷まつりが開かれるそうで、
境内にはサツマイモ畑と、
昆陽の石像がありました。



阿弥陀堂  観音堂



さてご朱印は本堂下の東にある、
阿弥陀堂にて頂戴出来ます。
阿弥陀堂の左手には、
江戸三十三観音でも伺った、
観音堂があります。




第18番ご朱印



さて残すは、
東京都・修行の道場、
10ヶ寺ですが、
やはり緊急事態宣言が、
終了してから、
改めてお参りします。




ジュウガツザクラ








【関東第十七番】瀧轟山 明王院 満願寺別院 (等々力不動尊) ~等々力渓谷・等々力渓谷横穴古墳〜

本院 致航山 感應院 満願寺
宗派 真言宗智山派
本尊 不動明王
158-0082 世田谷区等々力1-22-47
公式サイト http://www.manganji.or.jp/



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等々力不動尊門前のPCX150  門前の等々力渓谷の案内




さて、関東三十六不動霊場
神奈川県・発心道場7ヶ寺を終えて、
埼玉県・菩提の道場5ヶ寺、
千葉県・涅槃の道場5ヶ寺は、
すでにお参りしておりますので、
残すは東京都・修行の道場の、
12ヶ寺のみとなりました。
まずは神木不動尊から一番近い、
等々力不動尊にお参りします。
こちらは同じ世田谷区等々力にある、
致航山・感應院・満願寺の、
別院という扱いです。
門前には等々力不動の案内ではなく、
等々力渓谷のものが二つ並んでいます。
日本では古くより、
水神→倶利伽羅不動として、
湧水や滝といった水場に、
不動明王を祀ることが多く、
こちらもこの渓谷が、
その起源であると思われます。




本堂  等々力渓谷のジオラマ



通常は本堂内にお参り出来るようですが、
今はコロナ禍の影響で、
立入が出来ないようです。
納経場でご朱印を頂戴する前に
まずはこの本堂前のジオラマで予習をして、
本堂左手の渓谷へと下りてみましょう。



不動の滝



本堂の左下に真っ先にあったのは、
やはり水行の場である不動の滝。



等々力渓谷・谷沢川  等々力渓谷・谷沢川
等々力渓谷案内図  等々力渓谷案内図




関東ローム層に覆われた武蔵野台地は、
多摩川に削られて出来た崖線に、
多くの湧水がありまして、
この等々力渓谷もその大量の湧水が、
台地を侵食して出来た渓谷です。
等々力の地名は、湧水の流れ落ちる音写の、
「轟く」にちなむという説が有力です。



野毛大塚古墳の案内図



少し歩けば、
この野毛大塚古墳もありますが、
今回は時間がないので、
残念ながらスルーします。



野毛大塚古墳 - Wikipedia





等々力渓谷3号横穴案内図



しかしここには
古墳時代末期から、
奈良時代にかけて形成された、
野毛地域の有力な、
豪農の墓と推定されている、
等々力渓谷横穴古墳があります。



等々力渓谷3号横穴  等々力渓谷3号横穴  
等々力渓谷3号横穴内



中でも完全な形で残っていた3号墳は、
発掘調査で人骨とともに、
耳環や土器などが出土しており、
今もこのように石室の様子を見学出来ます。




第17番ご朱印




さて、納経所に戻りまして、
ご朱印をお願いすると、
なんと緊急事態宣言発令中は、
ご朱印の授与は中止しているのだとか。。。。
残念ですが致し方ありません。
写真はネットの拾い物の画像デス。
後日、伺って今日の日付で頂戴します。



御岳山古墳




等々力不動尊門前、
目黒通りを挟んだ向かい側に、
「御岳山古墳」もありますが、
今回はこちらも、
残念ながらスルーします。




www.city.setagaya.lg.jp





竹園山教学院(目青不動尊)とPCX150  竹園山教学院(目青不動尊)本堂内
納経所受付の貼紙




さて、第十六番の札所、
三軒茶屋駅前の、
世田谷区太子堂
竹園山・教学院(目青不動尊)も、
やはり緊急事態宣言発令中は、
ご朱印の授与を中止しているようです。
こちらは記念撮影のみで失礼しました。
また等々力不動尊ご朱印を頂きに伺う際に、
改めてお参り致します。



makoto-jin-rei.hatenablog.jp