祭神 火之迦具土大神・青木昆陽
262-0032 千葉市花見川区幕張町4-594-2
まだまだ長男の診察時間には時間がありますので、
このまま車は、京成幕張駅を目指します。
幕張と武石を結ぶ、
美浜長作線のこの「幕張昆陽地下道」工事の為、
一時期、先ほどの子守神社に鎮座されていた、
この秋葉神社とその併設社、昆陽神社。
道路開通後にともに新社殿を造営され、
改めて遷座したものがこちらです。
そんな訳で境内には木の一本も無く、
ただ砂利があるのみです。
京成幕張駅のすぐ西側にあるのは、
こちら昆陽神社の鳥居です。
秋葉神社の鳥居は南側にあります。
南にちょっと大きな秋葉神社、
北に一回り小さい昆陽神社。
仲良く同じ様式で並びます。
その北側には末社や石碑群をまとめています。
さてこちらの由緒です。
そもそもこの近くにあった火の神を祀る秋葉神社。
建立年代は不明ですが、
享保年間(1716〜1736)にこの地に遷座したそうです。
ちょうどその頃、享保の大飢饉がおこり、
蘭学者、青木昆陽は、小石川の後楽園に、
甘藷(現在のサツマイモ)を栽培。
各所で試作したものの、
成功したのは、ここ馬加村(幕張)でした。
その後ここで得た栽培法が広まって、
全国に及び、何万人という人々を飢餓から救いました。
その後昆陽は「芋神様」となり、
弘化三年(1846)この試作地近くの秋葉神社に、
昆陽を祭神として境内末社として、
この昆陽神社として祀られたのです。
昆陽神社鳥居の向かい側には、
小さな囲い地があり、
入り口鉄柵の門がありますが、
特に鍵はありません。
勝手に開けて中に入ってみると、
「昆陽先生甘藷試作之地」の碑があります。
大正八年(1919)に建てられた、
昆陽先生甘藷試作之地の碑です。
普段、人が立ち入らない為、
石畳からドクダミが生えています。
この試作地碑の右側、
明和六年(1769)に亡くなった昆陽の、
没後二百年を記念して、
昭和四十三年(1968)に建てられた顕彰碑。
書は当時の千葉県知事、友納武人によるものでした。
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