松林山 大圓寺 その二

本尊 釈迦如来
宗派 天台宗
153-0064 目黒区下目黒1-8-5




松林山 大圓寺 → その一



「松林山 大圓寺 その一」の時に、
今日が、年にたった数回しかない、
ご本尊開帳の「大黒天甲子祭」であるとチェックしていたので、
とりあえず渋谷の顧客の後に、
山手通りを南下して目黒方面に向かってみました。




山手通りの目黒のとあるお店の店頭には、
なぜか金庫の上で、
絶望に打ちひしがれた、
ネズミの王国のあの黄色い熊が独り、 
背中を丸めて佇んでいました。




絶望の黄色い熊




まるで「もうだめぽっ・・・。」といわんばかり。
やはりこれは、上半身に赤いTシャツを着ているのに、
下半身がまる出しであることを、
同僚の虎や豚や驢馬に、揶揄・嘲弄されたのか。
薄汚れた彼は、臀部からその内臓であるスポンジを、
ひらひらと風になびかせておりました。
いずれの世界も生きるということは辛いものです。





大円寺




さて本題の大円寺さん。
今日の私のお目当ては、
本堂左隣の釈迦如来堂に祀られた、
このお寺の本尊である「生身の釈迦如来像」。
写実的な清凉寺式の木造釈迦如来立像です。
関東では珍しい旧国宝であり、
現在の国指定重要文化財に指定された仏像です。





ご開帳中の釈迦如来堂




京都の有名な清凉寺の国宝釈迦如来の模刻と伝わります。
鎌倉時代、復古的な釈迦信仰とともに、
各地に多く似た仏像が作成されました。
事実、私の住む北総地域の寺院にも、
類似の作風はいくつもありますが、
ここのこの釈迦如来像には、
胎内から鏡や結縁者の戒名紙片や、
女性の髪、木札等が発見され、
その鏡には「建久四年舟治乙犬丸」と、
線刻の銘があり、
鎌倉大仏に同じ工人の名があることから、
建久四年(1192)という、
年代が明らかな清凉寺式釈迦如来像の中でも、
最も古いものに分類されているのです。
なんと胎内には、前出の他に、
絹や綿の布で作られた五臓や、
経典や宝玉が納められていたとか。
なるほど「生身」という表現が似合います。





旧国宝・生身の釈迦如来




う〜ん。こんなガラス越しではなく、
もっと近くに拝することが出来たらいいのにね。




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