抜弁天 (厳嶋神社)

祭神 市杵島姫命(=弁財天と習合)
162-0055 新宿区余丁町8-5




→ 「新宿鮫」シリーズ
→ 「狼花 新宿鮫IX」
→ 「小説こちら葛飾区亀有公園前派出所」




新宿鮫」シリーズを続けざまに読み直し、
昨日やっと全作を読み終えました。
やっぱりこれ最高に面白いねぇ・・・。
あっという間の長編9作&短編1作でした。





厳密に言えば鮫島警部の勤務する、
警視庁新宿署管区とはあまり関係ありませんが、
私が大学を卒業して入社後、最初に勤務したのも、
当社の今は無き新宿区内の事業所でもあったし、
新婚時代三年暮らしたアパートも新宿区内・・・。
そして長男の母子手帳をもらったのも、
出生届を提出したのも、
歌舞伎町の新宿区役所だったものです。
そんな訳で新宿区には特別の思い入れのある私には、
新宿鮫」には懐かしい地名の響きがあちらこちら・・・。




そんなシンジュクノスタルジーな私の前に、
今日、新宿区河田町の顧客に行くというタヤパン。
思わず彼に同行してしまいました。




さてその所用を終え、数百m先には、
抜弁天」の交差点。
新宿鮫」シリーズにも度々登場していました。
はて?、ここってなんで「抜け」なん?。
タヤパンと様々な憶測を交わします。
「いやいや、タヤパン、遊女の足抜けではないよ。」
「ここから当時の飯盛女がいた宿場は遠いよ。」
・・・しかし、よく考えていみれば、
私、このすぐ近くに住んでいたものの、
抜弁天には一度もちゃんとお参りしていておりません。
タヤパンに車を近づけてもらい、
一人足早にお参りしてみました。




抜弁天




南北それぞれに鳥居が二つ建ち、
その中央にまた鳥居があって、
その西側に真新しい小さな祠が、
東側に向いて建立されています。
弁財天=厳嶋神社ということで、
その祠の手前にはやはり真新しい池が作られています。
交差点の名が有名な割には、
あまりにも小さな祠です。




こちらの建立にもやはりまた、
八幡太郎源義家の伝説がありました。
応徳三年(1086)、
源義家後三年の役で奥州平定に向かう途中、
この高台に宿営したそうです。
この地は当時から高く遠く西が望めたようで、
ここから安芸に鎮座する厳島神社に戦勝を祈願したのだとか。
奥州平定後に戦勝御礼の為この地に再訪し、
厳島神社を勧請し神社を建立したのだとか。




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いやいや、まったく・・・、
八幡太郎源義家も、弘法大師空海も、
歴史上、いったい何人いたのだろうか。(汗)




抜弁天」の「抜け」には、
想像していた、大きな意味はないようで、
義家がこの地に苦難を切り「抜け」たという説と、
境内参道が南北に通り「抜け」られるという二説だそうです




まぁ小さいながらも、
「江戸の六弁天」に数えられているそうですが・・・。



はて?・・・。
阿弥陀如来や、地蔵菩薩の「六」は分かりますが、
弁財天がなんで「六」なの?。
これは調べてみる価値がありそうです。




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