二宮神社 その四 〜 大厄(前厄)厄除・神社編 〜 

二宮神社

祭神 建速須佐之男命稲田比売命大国主命藤原時平
七年祭での役割 父・夫
274-0072 船橋市三山5-20-1




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すっかり「ノロ」って気弱になり、
どうにか今日になり普通の生活に戻れたので、
気になっていた厄除け参りに、
氏神様であり、産土神でもある、
初詣にもお参りした二宮神社に伺いました。




拝殿左手より本殿を望む




延喜式内の「下総国寒川神社」と推定され、
下総国の二ノ宮とも伝わり、
大祭・三山七年祭りの父であり夫である、
この辺りを代表する神社です。
「成田参詣記」という、
安政五年(1858)に刊行された「名所図会」にも、
「三山明神社」という名で登場します。





子供の頃から見慣れているので、
あまり意識したことは少ないのですが、
今日、改めてまじまじと拝すると、
この安永年間(1772〜81)に再建された*1
拝殿・本殿は、なかなかの重厚感で、
美術的にも素晴らしいです。




さて拝殿内は勿論撮影禁止なので写真はありませんが、
よくよく思い起こしてみると、
私が「お参ラー」になって、
自らが神社で祈祷を受けるのは、
実は今日が初めてのこと。




昔はチンプンカンプンだった祝詞を、
手を着き、低頭のままにかみしめてみると、
間違っているかもしれませんが、
どうやらこれは神様への一方的なお願いというよりも、
今までの罪を悔い改めて、これからけして過ちを起こさぬよう、
頑張りますから、どうか神様見守ってやってください。

という、宣誓に聞こえました。




お札・お守り・絵馬・お供物





間違っていても私は、それでいいと思います。
この戴いたお札・お守りはその宣誓書の代わりです。
忘れることのない様に、今年一年身近に祀り持参します。




さて、やっぱり仏様にも宣誓しちゃうかな。(←バカ。)




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*1:本殿・拝殿ともに屋根は大正時代に葺屋根から銅板葺に葺き替えられている。