先週から急遽日付が変更となった、
母方の祖母の一周忌の墓前法要。
朝イチ実家に母を迎えて松戸の八柱霊園に向かう道すがら、
まだ時間に余裕があったもので、
まだお参りしていない吉橋大師札所にお参りしてみました。
前回、目と鼻の先を通りながら、
すっかり素通りしてしまった、
三咲稲荷神社さん。
これらの地名は明治の、
下総牧を開墾した順番に付けられていることは、
今まで何度か説明しています。
初富、二和、三咲、豊四季、五香、六実、七栄、
八街、九美上、十倉、十余一、十余二、十余三の順です。
つまり三咲は云うでもなく三番目。
こちらは明治二年(1869)創建だそうですから、
五穀豊穣を願い、開墾と同時に、
倉稲魂命を勧請されたのでしょう。
参道の左手、境内にある三咲自治会館の手前に、
このまだ新しい石造弘法大師立像。
台座に「三咲大師講中」とあります。
いきなりの神仏集合バリバリの様相。
第四十四番札所は参道の左手。
この三日月目のお大師様は、
他の札所でもいくつかみました。
大師堂の左隣には、
同じ仏師がつくったと思われる、
この子育観音が。。。。
あれ、ここホントに神仏分離令後に建てられた神社なの?
そして正面、拝殿。
千木・鰹木もなく、
これまた一見、お寺のお堂。
そしてこの菊紋がまた珍しい。
通常菊の紋が許されるのは、
皇室に関わりのある寺社だけなのですが、
この菊、よく数えてみると、
なんと十六菊なにぬ、十五菊。
奇数の菊紋なんてあんの?
(;゚Д゚)!
さて拝殿裏の本殿も、
この珍しい石蔵のような造り。
はたしてこれが本殿なのか?、
それともこの中に小祠があるのだろうか。