西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

妙宣山 紱大寺 (摩利支天山 徳大寺)

宗派 日蓮宗
本尊 十界の曼荼羅
110-0005 台東区上野4-6-2
公式サイト http://www.marishiten-tokudaiji.com/




今日は初めてご利用戴いた、
新規の顧客にご挨拶をする為、
午後一番で上野を訪れました。
折角ですから、アメ横を散策。




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最近欲しくてたまらなかった、
こちらのミニマグライトを、
正規価格の約半額で購入しました。
いや、実際仕事で利用するんですよ。これ。
しかし正規輸入代理店の将門首塚隣の、
あの商事会社は、どれだけ儲けているのかね・・・。




徳大寺 石段下より




さて、そんなアメ横の真っ只中にある、
こちらのお寺にお参りしてみました。
我々の世代では、林家三平のCMの、
「ニキニキニキニキ、二木の菓子ーっ。」
で有名な、二木の菓子の上にあります。




さて、珍しい「摩利支天」を祀るこちら。
この摩利支天については、
公式サイトが詳しいのでご覧下さい。
そのサイトにない情報としては、
この天部は陽炎の神格化であって、
帝釈天と阿修羅の対決の際に、
日月の光を遮って、
帝釈天に荷担したという伝説があります。




徳大寺 境内




本堂正面には、もちろんこの摩利支天像、
なんと聖徳太子が開眼したとされる像です。
そして右手には日蓮聖人像、
また左手には鬼子母神像、
他、堂内に浄行菩薩も祀られています。
そして境内には、この通り、
日蓮聖人立銅像と妻恋地蔵の銅像の間に、
「七面様」と称する小祠がありました。





徳大寺 本堂



そもそもこちらは、
正平年間(1346〜1370)に、
日遣が開山したというお寺です。
「徳」の字は、正式には「紱」である通り、
徳川家とのつながりが大変深かったようで、
江戸時代は三千坪あった寺域は、
上野の名の由縁という説もあり、
正月三日までは徳川将軍家の駕篭でうずまり、
一般の参拝客はその後の、
四日からしか参詣が許されなかったとか・・・。





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