諸嶽山 總持寺 〜石原裕次郎墓〜

宗派 曹洞宗 大本山
本尊 釈迦如来
230-8686 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1
公式サイト http://sojiji.jp/



えっ?!、お寺の記事なんて辛気臭いからやめてくれってか?。。。
皆さんご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが、
こちらのブログの主題は、神社仏閣参詣を中心とした歴史散歩なんですよ。wwww
という訳で、折角なのでツルジの後に総持寺にお参りしてみました。




現在、一般に日本で「禅宗」と言われる宗派は、
主に「臨済宗」「曹洞宗」「黄檗宗」の三つ。
この「曹洞宗」がまた主に二つ、
高祖とされる道元さんの永平寺派の「有道会」と、
太祖とされる四祖・瑩山紹瑾さんの、
ここ總持寺派「總和会」に分かれ、
その永平寺とこの總持寺を、両「大本山」(根本道場)としています。
明治時代にはこの二派で大きな内紛もあったと聞きます。



→ 曹洞宗内紛 - Wikipedia




さてこの總持寺はそもそも、
能登櫛比庄(現在の石川県輪島市)にあった、
真言律宗の「諸嶽観音堂」でありましたが
元亨元年(1321)に瑩山さんが住職となって、
「諸嶽山總持寺」となりました。
翌年、後醍醐天皇より綸旨を受けて官寺となり、
曹洞宗大本山となって隆盛を極めますが、
明治三十一年(1898)に不慮の火災で、
伽藍の大部分が焼失した為、
時代の推移と宗門の要請によって、
明治四十四年(1911)に石川県よりこの地に移転したものなのです。




だらだら長々と書いておりますが、
要するに曹洞宗の二つある大本山の一つで、
約百年前に石川から横浜に移転したのがこちらなのです。




三松関  



まず出迎えてくれるのは総持寺の総門「三松関」。
扁額には「三樹松関」と記されており、
総持寺中興の祖とされる石川素童さんの揮毫とか。
能登の旧跡(現在、総持寺祖院として再興)には、
龍の形をした三本の松があったそうです。



境内案内図




続いて境内案内図。
廃仏毀釈後の移転ですから、
寺領地を削られたりした歴史はありません。
広大な敷地です。



三門




続いて巨大な「三門」です。
こちらは昭和四十四年(1969)落成の鉄筋コンクリート製。




金剛力士 阿形  金剛力士 吽形



苦心して撮影した金剛力士は、阿吽ともに、
北の湖さんの15歳の姿をモデルにしたものだとか。。。。
あんまり似てないよね。。。



三松閣  


三門をくぐりすぐ右には、
巨大な鉄筋コンクリートの切妻造の「三松閣」。
これが檀信徒の道場・宿泊、また葬儀・通夜の会場となっています。
一階には大きな売店もありました。




香積台


三松閣の左奥がこの「香積台」。
要するに「庫裡」であり、
そもそもは食事を調える場所、
僧侶の居住場所を差しますが、
巨大寺院ではこちらのように、
寺の事務を扱う寺務所となっていることが多いです。
こちらにも総受付があって、
多くのお坊さんが寺務に携わる姿がみえました。
中央奥には木彫の大黒尊天が祀られています。


向唐門(勅使門)  



境内のほぼ中央にあるのは菊の紋が輝く
「向唐門(勅使門)」。
後醍醐天皇から綸旨を受けた後に、
多くの天皇より勅願寺とされたことから、
ここに「勅使門」の名が残っています。。
お正月・節分会・11月5日の移転記念日だけ、
一般に開扉するんだって。



百間廊下



長さ152m。外苑と内苑とを分ける廊下が、
この「百間廊下」です。
雲水の「洒掃行」(雑巾がけ)によって鏡のようにピカピカ。
女性はスカート注意です。(←罰当たり。。。)




仏殿  仏殿内部




総持寺の七堂伽藍の中心部にある殿堂「仏殿」。
「大雄宝殿」とも呼ばれており、
本尊である釈迦牟尼如来が祀られていました。




放光堂  放光堂内部




仏殿左手の「放光堂」。
能登から移転直後には、最初に法要が行われるなど、
当時は「大祖堂」として、
中心的な役割を果たしたお堂。




紫雲台  



この放光堂の対面、東にある堂宇「紫雲台」
総持寺の表方丈の間であって、大書院。
内部には近代の貴重な水墨画や彩色画が残されているとか。
そうそう、総持寺には中国僧侶の即身仏があるという噂がありますが、
残念ながら未公開。一体どちらに安置されているのだろうか。




太祖堂


そして総持寺の七堂伽藍の中で最も巨大な「太祖堂」。
開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿。
高祖・道元さん、太祖・瑩山さんの尊像が祀られているそうです。




「裕ちゃんの墓」の案内



さて元・掃苔家の私。
ウィキってみると総持寺墓地には、

浅野総一郎
芦田均
石原裕次郎 
伊東忠太
大西瀧治郎
大錦卯一郎
清浦奎吾
隈本有尚
栗野慎一郎
近野信雄
黛敏郎
(50音順)

・・・が眠っているとされていますが、
残念ながら思いつきの参拝だったもので、
資料もなく誰がどこなのかさっぱり分からず。
ただしこの「裕ちゃんの墓」の案内だけに導かれてこちらへ。



石原裕次郎墓  万成石の五輪塔  



この万成石の五輪塔
俳優・石原裕次郎さんのお墓です。



→ 石原裕次郎 - Wikipedia



没後15年経っていますが、
毎日ファンのお参りは絶えず、
多くの花束やお酒が供えられていました。



石原まき子さんの石碑

奥様、石原まき子さんが、
亡き旦那さんに対する愛情あふれる碑があります。



美しきものにほほえみを
淋しきものに優しさを
たくましきものに
        さらに力を
すべての友に思い出を
愛する者に永遠を
心の夢醒めることなく

        石原まき子



宝物殿



最後に宝物殿(一般300円)を拝観しました。
この宝物殿は昭和四十九年(1974)に、
瑩山さんの650回大遠忌を記念して建立されました。
収蔵資料は国指定重要文化財五件など、
絵画・彫刻・工芸・書跡・古文書等1万点あるそうですが、
小さな展示スペースなので約50点のみを常時展示していて、
3ヶ月に一度展示替えを行っているんだって。
定期的に訪れて拝観してみたいな。



→ 曹洞宗大本山總持寺【名宝】




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