国指定史跡 百舌鳥古墳群
堺市役所21階展望ロビー
入場時間 9:00〜21:00
入場料 無料
590-0078 堺市堺区南瓦町3-1
仁徳天皇陵 590-0035 堺市堺区大仙町
履中天皇陵 593-0000 堺市西区石津ヶ丘
堺市の法人二社にご挨拶に伺ったもので、
長年課題にしていたスポットに立ち寄ってみました。
堺市役所の高層棟21階は無料展望台になっていて、
ここから堺の誇る百舌鳥古墳群を一望出来るとか。
無料スペースとは思えない広々とした立派な展望台。
堺の歴史に関する展示も充実しています。
展望台南側から、
確かに百舌鳥古墳群が一望出来ますが、
市内最高の高さとはいえ、
そこはたった21階の80m。
教科書の空撮写真のような、
前方後円墳の全容を見ることは出来ません。
上の写真は南側の伝仁徳天皇陵・伝履中天皇陵と、
東側の伝反正天皇陵を写した二枚。
この百舌鳥古墳群には、
かつては百基以上古墳があったそうですが、
現存するのはわずかその半分以下。
その十七基が国の史跡に指定され、
宮内庁による天皇陵が三基、
陵墓参考地二基、陵墓陪冢十八基に治定されています。
天皇陵とされる三基は、
仁徳天皇陵とされる大仙陵古墳(大山古墳)、
履中天皇陵とされる上石津ミサンザイ古墳、
反正天皇陵とされる田出井山古墳があります。
『記紀』『延喜式』等で、
それらがそれぞれの、
天皇陵であると推定され、
宮内庁に治定されましたが、
現在の考古学的な研究結果では、
築造時期に矛盾が生じてしまうそうです。
しかしこのブログではあくまで、
宮内庁の治定通りに、
以下「伝」を省略して話を進めます。
展望台北側からはあべのハルカスなど、
遠く大阪市内の高層ビルが望めます。
展望ロビーに、
展示してあった空撮写真です。
この百舌鳥耳原という地名は、
仁徳天皇がこの地を陵地を定め、
陵を築き始めた頃に、
野の中から鹿が現れて走り出てき、
役民の中に入り倒れて死んだそうです。
その鹿の死体を調べてみると、
百舌鳥が耳の中から飛び出して行ったとか。
アポまで少し時間があったもので、
くるりと車で仁徳陵・履中陵を回り、
時々車を降りて写真を撮ってみましょう。
まずはいきなり住宅地に、
仁徳天皇陵陪冢とされる、
墳丘長100mの前方後円墳・永山古墳の登場で、
テンションあげあげですが、
後ほどこのクラスの古墳は山ほど現れます。
仁徳天皇陵北西の端に接する歩道橋から、
この世界一巨大な墓の、
西方向、北方向を眺めました。
以外に濠が細く拍子抜けしますが、
これは一番外側の三重目であり、
江戸期には地震や人為的崩壊で、
すでに埋め立てられたは状態で、
明治になってから復元したという説もあります。
一番北側の扉が、
少し開いていたのが気になります。
現在、歴代すべての天皇陵、
またはその可能性の高い陵墓参考地、
陵墓陪冢に治定された古墳は、
一切一般の立ち入りが禁止され、
その専門的な研究も制限されています。
もうそんな時代じゃないっしょ宮内庁さん。
さて仁徳天皇陵北東隅に出ました。
この周遊道路には所々この、
「◀正面まで0000m 正面まで0000m▶」
と、案内があります。つまり一周は2850m。
ゆっくり歩くと一時間弱の散歩コースとか。
東南の貧弱な三重目の濠に、
倒れた樹木が何本もあり目立ちました。
現在は厳重な柵に一周覆われていますが、
一部濠を渡れる場所に、
このような古いフェンスがあります。
一昔前はこの程度の警備だったのかもしれません。
仁徳天皇陵南東の隅になります。
このすぐ近くに、
百舌鳥古墳群案内図がありました。
正面と呼んでいるのは、
後円を上にして、
前方を下にした、
その方墳の底の部分に近く、
宮内庁が遥拝所を設けた部分。
このすぐ近く造営直後の、
陵墓の復元模型のモニュメントがあります。
そしてすぐ南側にある56mの帆立貝形古墳、
陪冢・孫太夫山古墳です。
堺市を代表する観光施設ですから、
無料駐車場が設けられており、
立派な仁徳天皇陵の案内板が立っています。
ここで唯一、三重濠を渡り、
二重濠の手前まで近づくことが出来ます。
ここが世界一巨大な墳墓の正面、
宮内庁が設けた仁徳天皇陵遥拝所になります。
いつものお約束の看板が出ています。
これ以上古墳に近づくことは一切出来ません。
さて、陵墓の北西側に出ました。
こちらは26mの方墳、銅亀山古墳。
西側の窪みの部分、
ここには元々濠に利用された、
湧水があったという説もありますが、
この濠から流れ出る、
小川のようなものとの境界に、
なんと、謎の十字架が二つ。。。。
これは一体何なんだろう。
その場でググってみると、
他のサイトでは濠の水位を調整するバルブとか。
さて、墳丘長486m、
世界一位の前方後円墳・仁徳天皇陵を離れ
その子である履中天皇陵を少しだけ見学しました。
墳丘長365mで世界三位の前方後円墳。*1
濠が太く広いため迫力がありますが、
元々二重濠でしたが現在一重になってしまったとか。
こちらはいくつも、
一般住宅が古墳と接していて、
周遊することは出来ません。
正面・遥拝所も住宅の間に挟まれた、
とても小さなものです。
最近、百舌鳥古墳群と古市古墳群を合わせて、
世界遺産に登録してもらい、
後世に残したいという動きがあるそうです。
ワタシはそんなもんはどうでもいいですが、
宮内庁がもう少し理解をもって、
後世の為に研究を進める公開をしてほしいと願います。