【前の記事】
⇩ ⇩ ⇩
さて、時刻は午後4時過ぎになりますが、
チーバくんに無理を言って、
この原城跡に立ち寄ってもらいました。
寛永十四年(1637)の島原の乱では、
当時、廃城になっていた、
この原城に一揆勢が立てこもり、
激戦・決戦の地になった場所です。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
の構成資産として世界遺産に登録されています。
昭和十三年(1938)、
国の史跡に指定されて、
その発掘調査の際には、
一揆軍の遺骨や、
鉛の弾丸が出土されたそうです。
三の丸跡にあるこの碑は、
寛永十五(1638)の元旦に総攻撃に出て、
討ち死にした征討使・板倉重昌の碑です。
乱の四十三後の延宝九年(1681)に、
重昌の孫である重道の依頼で計画され、
碑文を彫り建立を申し出たものの、
許可されず長く放置されていたようですが、
寛政十年(1798)板倉勝彪により建立されました。
撰文は林羅山の孫、林整宇です。
⇩ ⇩ ⇩
【次の記事】