宗派 真言宗智山派
本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば
605-0813 京都市東山区ロクロ町81-1
公式サイト https://rokuhara.or.jp
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さて、第十六番・清水寺の次に
第十七番・六波羅蜜寺に到着したのは、
午前10時40分頃。
こちらも私は高校の修学旅行以来、
38年ぶりの訪問になります。
ガイドブック二冊には、
「駐車場なし」とありますが、
境内の南側の客殿の裏に、
この参拝者用駐車場があります。
さて、六波羅蜜寺の歴史ですが、
天暦五年(951)、
空也上人が自ら刻んだ
十一面観音を祀る道場に始まり、
当初は西光寺と称していたそうです。
疫病の蔓延する京都で、
空也はこの観音像を引きながら歩き、
念仏を唱え、病人に茶をふるまい、
多くの人々を救ったそうです。
応和三年(963)、
当時遺体の捨て場であり、
葬送の場であった鴨川岸に、
空也は、僧六百名を集めて、
大般若経供養会を行いますが、
これをもって西光寺の、
創建とする説もあるとか。
空也の死後、貞元二年(977)、
比叡山延暦寺の中信が六波羅蜜寺と改称し、
天台宗に属する天台別院となりました。
平安時代末期には、
平家とのつながりが密接となり、
六波羅殿と呼ばれる館が建築されて、
平清盛によって六波羅蜜寺は、
平家の屋敷群に取り込まれてしまいます。
寿永二年(1183)の平家都落ちの際に炎上し、
本堂のみが焼失を免れました。
この後、鎌倉幕府により、
この地に六波羅探題が置かれます。
鎌倉時代には源頼朝、
室町時代に足利義詮により再興が行われて、
現本堂は貞治二年(1363)の再建で、
重要文化財に登録されております。
文禄年間(1593-1596)、
豊臣秀吉による方広寺大仏建立の際に、
本堂が修理されて向拝が付け加えられ、
寺領七十石が安堵されます。
この際に真言宗智積院の末寺となります。
江戸時代までは大伽藍を連ねていましたが、
明治の廃仏毀釈を受けて寺域が大幅に縮小し、
現在、境内は狭くなってしまいました。
ちなみに空也が刻んだ木造十一面観音立像は、
現在、本堂の本尊で国宝となっています。
十二年に一度辰年にのみ開帳される秘仏です。
宝物館である令和館に入場致します。
お馴染みの重要文化財、
木造空也上人立像は、
鎌倉時代、運慶の四男・康勝の作。
教科書で平清盛の肖像写真でも使われている、
木造僧形坐像も重要文化財で鎌倉時代。
そしてやはり運慶の肖像写真でも使われる、
木造伝・運慶坐像も鎌倉時代作の重要文化財。
この木造地蔵菩薩坐像も鎌倉時代作で、
やはり重要文化財で運慶の作と伝わります。
他にも湛慶坐像、木造四天王立像4躯、
木造薬師如来坐像、 木造弘法大師坐像、
木造閻魔王坐像、木造吉祥天立像と、
重文がずらりと並びます。
二年前の東博の「空也上人と六波羅蜜寺」で、
空也像のフィギュアが欲しかったんですが、
残念ながら買えなかったので、
こちらの売店でこのアクスタを購入しました。
境内の南側には、
平清盛塚や、平景清の妻の、
阿古屋塚がありました。
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