三山新田 弁天社 【吉橋大師第七十七番】

祭神 弁財天
274-0072 船橋市三山8-43-8



シバザクラ?




昨夜、過剰摂取した、
カロリーの消費には到底足りませんが、
今朝は、かみさんの実家まで、
栴檀さんに貰った「親鸞展」の割引券を義母に渡しに、
S90を持ってサイクリングしてみました。
春の花々がとても綺麗です。
そうそう、このすぐ近くには、
吉橋大師の札所のある、弁天社があったはず。
ちょっと立ち寄ってお参りしましょう。



三山新田弁天社



弘法大師空海作の弁財天と両童子を祀っていたという、
「三山新田弁天社」です。
二宮神社があることから「御山」が転じ、
「三山」となった地名ですが、
この地に多い、二宮神社末社・摂社ではないようで、
別の開墾者たちの鎮守様だったようです。




二宮神社 その → 
→ 「二宮神社」関連の記事 




どうやら改築中の様です。
案内板も隅に立て掛けられておりましたので、
ここに書写しておきましょう。


弁財天の由来
この地は、江戸時代(延宝年間)一六八〇年頃、行徳湊村の青山久左衛門が、
幕府に開墾を願い出て許可され、開墾された地域で地名を「今湊新田」と称し
ました。実際に移住して開墾したのは青山家の家守をしていた行徳今湊村の
人でした。弁才天は、青山久左衛門が行徳湊村に建立した「善照寺」に祀られて
いましたが、(文化六年)一八〇九年にこの地に渡御されました。
(元治元年)一八六四年に村の鎮守としてもらい受けて祀ってあります。
その時の「古文書」には次のように記されています。


一、弘法作辨才天両童子
 右之尊像ハ往古其村方ヘ被為在渡御候御因縁ニ付、
 村内之奉崇鎮守ニ度旨被願出則任其意致進上候間、
 幾久敷為村内安全可被致候者也。
  元治元年甲子年十二月廿四日
      下総行徳湊村善照寺十五世 宣誉(花押)
      今湊新田御宮掛り    小川  孫八
      同             土橋茂右衛門
      同             土橋惣右衛門
      同             庄司庄右衛門
      世話人 大穴      齋藤五郎兵衛
           行徳      青山久左衛門
           同       荒井 甚五郎
           三山      土橋 茂兵衛
           今湊      土橋吉右衛門

弁才天は、昭和十五年に火災により焼失したため、
          昭和十六年に再建されました。
平成十三年五月吉日
              三山第二町会巳講中

「小川」「土橋」「庄司」等は
この辺りに多い姓ですが、
どうやら元々は行徳からの移住のようです。




弁天堂内




弁天堂内も改築中の様子です。
はて、昭和十六年(1941)再建の弁天様は今いずこ?。




弁財天再建記念碑



やはり昭和十六年(1941)に、
弁天再建を記念して建てられた碑があります。
裏にはやはり同じような姓の方々の名と、
金○十円という寄付の金額が刻まれています。




→ バーチャル寺院:善照寺




市川市湊の浄土宗・善照寺は、
今も現存しているようです。
近く必ずお参りしましょう。




吉橋大師第七十七番  吉橋大師第七十七番の地蔵尊




さて、吉橋大師は第七十七番。
この札所小祠にはお化粧をした、
石のお大師様が祀られていました。




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醫王山 高雲院 神宮寺 【吉橋大師第十三番】・【吉橋大師第七十四番】

宗派 真言宗豊山派
本尊 阿弥陀如来
274-0072 船橋市三山5-37-1



二宮神社 その → 
→ 「二宮神社」関連の記事 







醫王山 高雲院 神宮寺




さて、ついでと言っては失礼ですが、
二宮神社はこの通り何度も記事にしておりますが、
その左に隣接する別当寺・神宮寺であった、
その名もすばり「神宮寺」の紹介がまだでした。
ここにも吉橋大師の札所が二つあります。




山門と六地蔵  山門前の石仏




山門前の参道には真新しい六地蔵と、
江戸中期の墓石であった如意輪観音等の石仏群。



薬師堂  「薬師瑠璃光如来」の扁額 



本堂左には「薬師瑠璃光如来」の扁額を掲げた薬師堂があります。
山号が「医王山」なので、
お寺の本尊が薬師さまだと思っていましたが、
どうやら違うようです。



 御簾の中の薬師如来と脇侍の日光月光菩薩




残念ながら薬師如来は御簾の中。
小さな脇侍の日光菩薩月光菩薩には拝せます。



神宮寺本堂内



鉄筋コンクリートの本堂のご本尊は、
阿弥陀如来なんだそうです。




吉橋大師第十三番



元々ここにあった吉橋大師の札所はこの第十三番。




吉橋大師第七十四番



廃寺となったという旧・泉蔵寺の第七十四番も、
ここに移設されています。



縛られ地蔵



墓地の中央の小祠を覗き込むと、
お地蔵様が縛られておりました。
この「しばられ地蔵」については、
調べてみても由来は不明です。



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蓬莱山 藩萃普門院 慈眼寺

宗派 真言宗豊山派
本尊 聖観世音菩薩
275-0014 習志野市鷺沼3-6-30




さて午後も歴史サイクリングで、
昨日のカロリーを消費しましょかー。(笑)
今日のターゲットは我が習志野市内。
先日の飯山満歴史サイクリング同様、
今日も次男がお供でごさいます。






慈眼寺の山門  慈眼寺 本堂




まずは先日お参りした「根神社」のすぐ近くにあるこのお寺。
蓬莱山慈眼寺さんです。




慈眼寺の大イチョウ





境内中央には、樹齢数百年のこの大イチョウ





慈眼寺 習志野七福神 大黒天  慈眼寺 大黒天



本堂左手には、宝船に乗った、
習志野七福神の大黒天が祀られています。




→ 「習志野七福神」関連の記事




伊東佐次兵衛頌徳之碑




さて、この巨大な碑は「伊東佐次兵衛頌徳之碑」。
習志野市内の名所・旧跡として一部に登場しますが、
あまり詳しい説明のサイトはありません。
私が裏の碑文をそのまま書写してから、
簡単に書き直しましょう。


故伊東佐次兵衛殿文政十年二月五日鷺沼
町三丁目七十七番地二生ル氏は鷺沼海岸
獲得ノタメ官庁二熱心二交渉シ其ノ結果
鷺沼區共有地ノ存在ヲ得ル二到ル明治四
十五年四月二十八日八十五才ニテ黄泉ノ
旅路ヘトタツ修善踠空信士ノ号ガ慈眼寺
ヨリ贈ラル昭和三十九年二月鷺沼海岸埋
立二際シ日本道路公団二共有地ヲ譲リ渡
ス協議ノ結果其ノ代金ニテ慈眼寺新
築鷺沼小学校神社其ノ他公共事業二寄付
ス永ク氏ノ功績ヲ称エルタメ千葉縣ヨリ
一金拾萬円也ノ補助ヲ受ケ譲渡代金ト
寄附ノ合計ニテ頌徳ノ碑ヲ建設ス

昭和四十一年拾月吉日建之

故伊東佐次兵衛殿は、文政十年(1827)2月5日に、
鷺沼町3-77に生れました。
氏は鷺沼海岸での、
(牡蠣の養殖場利用権)獲得の為、
官庁に熱心に交渉して、
その結果、鷺沼区共有地の存在を得るに到って、
明治四十五年(1911)4月28日に八十五才で亡くなり、
慈眼寺より「修善踠空信士」という号が贈られました。
昭和三十九年(1964)2月、鷺沼海岸の埋立に際して
日本道路公団にその共有地を譲り渡す協議の結果、
その代金にて慈眼寺新築、鷺沼小学校、
神社その他の公共事業に寄付したことから、
永く氏の功績を称える為に、千葉県より、
十万円の補助を受けて、譲渡代金と寄附の合計で、
この頌徳の碑を建設しました。
昭和41年10月吉日建之


所謂「地元の名士」という方ですが、
さて、ここからは当社・当事業所の職員が驚くところ。
実はこの方の直系の子孫が、我らと同じ事業所で働く、
私の同期である、あの同姓の「イトーチャン」なのです!!。(笑)




慈眼寺の観音堂?  六地蔵と石仏




さてこの寺の東側に隣接する墓地と、
お堂は、地図には「観音寺」とありますが、
どうやら今はこの慈眼寺の観音堂のようです。




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鷺沼 八剱神社

祭神 日本武尊
275-0014 習志野市鷺沼3-16




→ 根神社






八剱神社 鳥居





先日お参りした根神社の末社という、
八剣神社にお参りしてみました。
「吾妻」が「東」となったこの東国の、
現在でいうこの東京湾沿岸には、
日本武尊の伝説が多々残っています。
ただここの創建は、延宝六年(1678)とも云われ、
直接は関連がないかもしれません。




八剱神社 拝殿




鬱蒼とした木立の中の神社です。
とてもいつも渋滞している国道14号からすぐ近くとも思えません。


習志野市広報によると、
毎年三月一日には、天狗の面をかぶり榊を持った氏子が先頭に立って、
白装束の八人の若者が、本社である根神社から、
長さ約2mの剣状の棒を持って歩き、
この氏子の地区の家々を廻って土足で家に上がりながら、
お祓いをして、この八剣神社までに至るそうで、
これを「剱の祭り」と呼んでいるとか。



狛犬 吽形(左)  狛犬 阿形(右) 




次男が真っ先に気付きましたが
嘉永五年(1852)壬子七月建立の狛犬は、
阿吽ともに子供の獅子を抱えています。
とても美しい狛犬です。




ヤモリも育てる狛犬




ありゃまぁ、お子様だけではなく、
ヤモリまで扶養していらっしゃるようで。(笑)





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十割そば なかや本店

営業時間 10:30〜14:30 17:00〜20:00
定休日  日曜・祝日
275-0026 習志野市谷津4-6-32





鷺沼温泉



→ 鷺沼温泉 - Google 検索




国道14号千葉街道を東京方面に走ります。
ディープなスポットとして人気のある、
鷺沼温泉の前を疾走し、




ビリーのいたところ  さよならビリー




→ 習志野 ヤギ ビリー - Google 検索




これまたディープ好きな、知る人ぞ、知っていた、
先々月亡くなったヤギのビリーのいたところを通過して、
かつて谷津遊園のあった京成谷津駅前を目指しました。




十割そば なかや本店  四種の十割そばメニュー



十割そばのお店、なかや本店さん。
地域に愛されているお店のようで、
私達が着席すると満席になりました。
十割そばは四種。
更科・南部・石臼・ダッタン。
お腹がペコペコだったので、
二種を大盛りで頼みました。



石臼そば(650円)+大盛り(200円)  石臼そば



石臼そば(650円)+大盛り(200円)。




  
更科そば(550円)+大盛り(200円)  更科そば




更科そば(550円)+大盛り(200円)。



十割らしく、ちょっとボソボソとしており、
みるみるノビてしまいますが、
蕎麦粉本来の風味は強く、この値段ならば大満足。




しかし、次男ったら、
「一昨日の店の方が美味かった・・・。」だって。(驚)





→ 習志野 藪蕎麦





私は別に「小学生の蕎麦通」を育成している訳ではありません。




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谷津 丹生神社

祭神 丹生都比売神
275-0026 習志野市谷津1-20-6





曼荼羅堂?  曼荼羅堂




手元の習志野市の地図をみると、
京成谷津駅の北口に「卍 曼荼羅堂」とあります。
歩行者と自転車のみ通過出来る踏み切りを越え、
近くに行ってみますと、入口すら見当たらないお堂があります。
南側の畑に不法侵入して写真を撮りましたが、
宗紋の「たちばな」からすると、
どうやら日蓮宗のお寺だったようですが、
現在は廃寺になってしまったようです。




気を取り直し、
このまま京成電鉄の線路に沿って、
京成津田沼駅方面に戻りましょう。





丹生神社 鳥居  丹生神社 拝殿




途中、偶然行き着いたのは、
この丹生(にう)神社です。
この辺りでは珍しい、
丹生都比売神を祀るこの社。
和歌山県伊都郡かつらぎ町の丹生都比売神社の第一殿を、
承應四年(1654)に勧請したのがこちらの創建。
この本社は弘法大師空海高野山を開くに当たり、
地主神として遷したとも云われる神社です。




→ 「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界文化遺産丹生都比売神社|丹生都比売神社



これも、この吉橋大師巡礼からか、
お大師様のお導きかなぁ。。。





丹生神社 狛犬 阿形(左)   丹生神社 狛犬 吽形(右) 





この神社の狛犬も阿吽ともにお子様連れでした。
これってこの辺りの流行なの?。(笑)



丹生神社 本殿




本殿にはなかなか素晴らしい彫刻が施されています。




御嶽大神の碑




→ 根神社




根神社同様に、拝殿左には、
大きな「御嶽大神」の碑が祀られています。





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無量山 地蔵院 西光寺 【吉橋大師第二十六番】・【吉橋大師第六十番】

宗派 真言宗豊山派
本尊 阿弥陀如来
275-0026 習志野市谷津1-2-15



かなり津田沼よりに戻りましたが、
住所はまだ谷津のままです。
まあ、そもそも「津田沼」は、
と、菊と、鷺の寄せ集めですからね。




西光寺 門前 六地蔵  西光寺 本堂





「無量山地蔵院西光寺」。
無量寿」は阿弥陀様の異名、
極楽浄土は西にありますから、
「西光」は分りますが、
「地蔵院」の院号が不明です。
門前の六地蔵は関連はないでしょう。




吉橋大師第六十番と第二十六番にはさまれた習志野七福神・毘沙門天  西光寺 毘沙門天 


吉橋大師第六十番札所と、
第二十六番にの間に、習志野七福神毘沙門天祀られています。




→ 「習志野七福神」関連の記事




西光寺 しゃもじを持った地蔵尊?




はて?、この杓文字のような物を持った、
お地蔵様のような石像はなんだろうか?。
長く"お参ラー"をやっておりますが、
かような物は初めて観ました。




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瑠璃山 医王院 東福寺 【吉橋大師第七十六番】

宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
275-0026 習志野市谷津2-11-17



東福寺 山門と六地蔵  東福寺 本堂




「西光寺」から、京成電鉄の線路を渡り、
南に出ると、実際には北から南の移動ですが、
この「東福寺」へと到着します。





東福寺 本堂内  東福寺 石仏

 
こちらも先ほどの山号、寺号同様、
ご本尊の分りやすいタイプです。
「瑠璃光」はお薬師さまの得意技光線であり、
いわば薬師如来のミドルネーム。
阿弥陀如来の「西方極楽」に対し、
薬師如来は「東方浄瑠璃世界」の教主で、
現世利益信仰の仏様です。
残念ながら行基作といわれるご本尊はやはり御簾の中。
しかしやはり古い石仏が、
このお寺の歴史を物語っています。






東福寺 恵比寿堂  東福寺 恵比寿



ここにも習志野七福神がありました。
こちらは恵比寿様です。




→ 「習志野七福神」関連の記事





東福寺 吉橋大師第七十六番





吉橋大師第七十六番札所は本堂の右下です。





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龍寶山 摩尼珠院 東漸寺 【吉橋大師第二十五番】

宗派 真言宗豊山派
本尊 延命地蔵菩薩
275-0014 習志野市鷺沼3-6-30





古墳では?  大六天神社



谷津2丁目から津田沼幼稚園の脇を通り、
京成津田沼駅前の商店街であるワイがや通りを目指すと、
幼稚園に隣接して、この小祠のみの「大六天神社」がありました。
習志野市内には他にも数箇所、同名の神社があるそうです。
しかし、これは私の推測では、完全に古墳だよ、これ。




「大六天」とは織田信長が自称したともされる、
天魔、天子魔あるいは、他化自在天ともされる魔王ですが、
明治の神仏分離では多くのこれを祀る神社が、
「六番目」ということで、
神世七代の第六代の面足命・惶根命(オモダルアヤカシコネ)にと、
祭神を変更したそうで・・・。


→ 根神社



ん?。面足命・惶根命といえば、
下総七年祭に参加しない、
あの根神社の祭神ではないですか?。
これは研究に値するテーマだなぁ・・・。
滅亡した旧支配者を魔王として祀っていたのではないのかな。
いつか徹底的に取材しましょう。




東漸寺 山門




さて、京成津田沼駅前の商店街「ワイがや通り」にある、
「龍寶山 摩尼珠院 東漸寺」。




東漸寺 本堂




本堂はなかなか重厚な造りで美しいです。




東漸寺 吉橋大師第二十五番 兼 習志野七福神 福禄寿



巨大なイチョウの前に、
吉橋大師第二十五番札所があり、
他とは違い独立した小祠はなく、
習志野七福神の福禄寿が同居しています。



三人の大師と福禄寿




まったくタイプの違う三人のお大師様の前に、
福禄寿が「居候」しています。(←失礼。)



東漸寺の鐘楼





商店街の真ん中のお寺ですが、
この辺りでは珍しく、立派な鐘楼がありました。




あれれ?、今日は結局、吉橋大師札所に七ヶ所お参りし、
計二十七ヶ所、残り五十ヶ所となりましたが、
奇しくも習志野七福神は、あと一ヶ所のみとなりました。
う〜ん・・・行っちゃいますか。




しかし、明日は、家族揃って、
ちょっと遠征する予定があるんです。




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