蓬莱山 藩萃普門院 慈眼寺

宗派 真言宗豊山派
本尊 聖観世音菩薩
275-0014 習志野市鷺沼3-6-30




さて午後も歴史サイクリングで、
昨日のカロリーを消費しましょかー。(笑)
今日のターゲットは我が習志野市内。
先日の飯山満歴史サイクリング同様、
今日も次男がお供でごさいます。






慈眼寺の山門  慈眼寺 本堂




まずは先日お参りした「根神社」のすぐ近くにあるこのお寺。
蓬莱山慈眼寺さんです。




慈眼寺の大イチョウ





境内中央には、樹齢数百年のこの大イチョウ





慈眼寺 習志野七福神 大黒天  慈眼寺 大黒天



本堂左手には、宝船に乗った、
習志野七福神の大黒天が祀られています。




→ 「習志野七福神」関連の記事




伊東佐次兵衛頌徳之碑




さて、この巨大な碑は「伊東佐次兵衛頌徳之碑」。
習志野市内の名所・旧跡として一部に登場しますが、
あまり詳しい説明のサイトはありません。
私が裏の碑文をそのまま書写してから、
簡単に書き直しましょう。


故伊東佐次兵衛殿文政十年二月五日鷺沼
町三丁目七十七番地二生ル氏は鷺沼海岸
獲得ノタメ官庁二熱心二交渉シ其ノ結果
鷺沼區共有地ノ存在ヲ得ル二到ル明治四
十五年四月二十八日八十五才ニテ黄泉ノ
旅路ヘトタツ修善踠空信士ノ号ガ慈眼寺
ヨリ贈ラル昭和三十九年二月鷺沼海岸埋
立二際シ日本道路公団二共有地ヲ譲リ渡
ス協議ノ結果其ノ代金ニテ慈眼寺新
築鷺沼小学校神社其ノ他公共事業二寄付
ス永ク氏ノ功績ヲ称エルタメ千葉縣ヨリ
一金拾萬円也ノ補助ヲ受ケ譲渡代金ト
寄附ノ合計ニテ頌徳ノ碑ヲ建設ス

昭和四十一年拾月吉日建之

故伊東佐次兵衛殿は、文政十年(1827)2月5日に、
鷺沼町3-77に生れました。
氏は鷺沼海岸での、
(牡蠣の養殖場利用権)獲得の為、
官庁に熱心に交渉して、
その結果、鷺沼区共有地の存在を得るに到って、
明治四十五年(1911)4月28日に八十五才で亡くなり、
慈眼寺より「修善踠空信士」という号が贈られました。
昭和三十九年(1964)2月、鷺沼海岸の埋立に際して
日本道路公団にその共有地を譲り渡す協議の結果、
その代金にて慈眼寺新築、鷺沼小学校、
神社その他の公共事業に寄付したことから、
永く氏の功績を称える為に、千葉県より、
十万円の補助を受けて、譲渡代金と寄附の合計で、
この頌徳の碑を建設しました。
昭和41年10月吉日建之


所謂「地元の名士」という方ですが、
さて、ここからは当社・当事業所の職員が驚くところ。
実はこの方の直系の子孫が、我らと同じ事業所で働く、
私の同期である、あの同姓の「イトーチャン」なのです!!。(笑)




慈眼寺の観音堂?  六地蔵と石仏




さてこの寺の東側に隣接する墓地と、
お堂は、地図には「観音寺」とありますが、
どうやら今はこの慈眼寺の観音堂のようです。




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