東叡山 寛永寺 大佛パコダ 〜上野大仏〜

上野大仏

宗派 天台宗
本尊 薬師瑠璃光如来
110-0007 台東区上野公園4




一部の方に好評を戴いている大仏シリーズです。
カテゴリー[大仏]を作成しました。




さてさて、今日は花のお江戸の大仏さまでぃ、
上野大仏を紹介しますかぇ。




最近では板橋宿の外れに、
東京大仏さんなんていう、
阿弥陀さまも建立されていらっしゃいますが、
お江戸、御府内の代表の大仏さまといえば、
この上野大仏に他なりません。



そもそもは寛永八年(1631)、
越後村上藩主の堀直寄が、
塑像(土造)の釈迦如来坐像を建立したものの、
たった、16年後の正保八年(1647)に地震で倒壊。
明暦から万治年間(1655〜1660)に、
木食僧の浄雲さんが江戸市民から浄財を集め、
一丈二尺(約3.6m)の堂々たる青銅造の釈迦如来坐像を建立します。
元禄十一年(1698)には輪王寺宮公弁親王が仏殿を建立するも、
天保十二年(1841)火災により大仏、仏殿が損傷。
しかし最初の塑像の堀氏の子孫、堀直央の寄進により、
天保十四年(1843)大仏を新鋳再建され、仏殿も修復されます。
その十二年後の安政二年(1855)の安政地震でも、
頭部を破損しますが、再び堀直央の寄進により修復され、
無事、明治維新を迎えるのですが、
上野公園開設時に仏殿が取り壊されしまい、
また露座に戻ってしまいました。
大正十二年(1923)関東大震災により頭部が落下し、
壊れた頭部は寛永寺が保管するものの、
その他の胴体はそのまま放置されていたそうです。
昭和十八年(1943)多くの銅像と同じく、
金属類回収令により、供出されて消滅しました。
パコダ 薬師三尊    
昭和四十二年(1967)、神仏分離により、
寛永寺が預かっていた、上野東照宮の、
薬師堂のご本尊、薬師瑠璃光如来と、
その脇侍、日光・月光二菩薩を迎え、
パコダ(仏塔)を建立し、
昭和四十七年(1972)、
同じく寛永寺に保管されていた、
大仏さま顔面部を、
レリーフとして旧跡に安置したのがこちらなのです。
だから実は現在、こちらはお顔だけなんです。

大きな仏像というのは、
その構造上、地震や火災に遭うと、
まず初めにお首が落ちて、
転がっていくようですから、
御頭のみが、現存することが多いそうです。
人形町の大観音も、
龍角寺の薬師如来も、
そうだったんだと思います。



現在はお顔のみの、
この大仏さまではありますが、
何度も不死鳥の如く蘇えったその歴史を考えれば、
この微笑の深さにも納得です。




しかし白毫相*1デカすぎない??。



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*1:眉間のホクロのような白い毛の渦