祭神 徳川家康公、徳川吉宗公、徳川慶喜公
110-0007 台東区上野公園9-88
なんと、皆様のご協力により、
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第一位になることが出来ました。
誠にありがとうございます。
さて先日上野大仏の
写真を撮りたくて、上野に出向いた時に、
意外なことに、こちらに初めてお参りして、
あんまりにも凄くてびっくりしちゃって、
今日また改めてタヤパンと、
お参りしました。
私の勝手な基準では、
どうもここ千年以内に人間として生きていた方を、
「ほれ、神様だぞ。」と主祭神して祀る神社には、
なんだかどうも足が向かないのです。
さてこちらのご祭神。
なんでその徳川家の三人が、
こちらのご祭神なのかはよく分かりません。
(なぜ、家光や綱吉が除かれているのでしょうか。)
そもそも「東照宮」ってなんでしょう。
はい、そこ。正解、ピンポーン。
徳川家康を祀る廟であり、神社です。
家康の死後、
天台宗の僧であり、
家康のブレーンでもあった天海は、
家康を祀る方法を、
基本的には山王神道の神、
「権現」として、
薬師如来を本地仏とする、
神仏習合方式にしました。
その頃のこちらの本地院(薬師堂)の、
ご本尊、薬師如来三尊が、
現在どうなっているのかは、
先日書いた「大仏パコダ」の通りです。
→ 大仏パコダ
つまり、東照宮といえば、
「家康」を表す神号「東照大権現」の「宮」ですから、
家康の死後、最初に埋葬された地に祀られた、
久能山東照宮か、
その後に改葬された、
日光東照宮が代表格で有名です。
こちらは寛永4年(1627年)、
あの藤堂高虎が、
危篤の家康を訪れた際に、
自分達三人(家康・高虎・天海)の魂が、
末永く鎮まる地を作ってほしいと遺言され、
高虎の屋敷内に創建したものなんだそうなんです。
その後、藤堂高虎はんが造りはったものを、
私の大嫌いな「生まれながらの将軍家」、
三代目、家光がしゃしゃり出て来て、
「こんなんじゃダメだーい。」と、
慶安4年(1651年)に改築しました。
まったく厭な奴ですね。
折角、部下が善意でこしらえたものを・・・。
ぼんぼんが、まったく。
さて改めてこちらにお参りしてみましょう。
入口はどーんと、寛永10年(1633)酒井忠世奉納の大鳥居。
関東大震災でもピクリともしなかった、
昭和17年の国宝指定をくぐります。
この高さ6.8mあるお化け灯篭や、
やはり昭和17年に国宝指定を受けた、
銅灯篭も素晴らしい。
東京では珍しい、拝観料200円を払い、
やはり、明治40年に国宝指定を受けた、
透塀をぐるりと一巡り、
拝殿に入り、本殿に参ります。
ここから先は写真撮影禁止なんですけど、
この中がとにかく凄いですよ。
展示されている、
家康の紫縮緬陣羽織や、
紺糸威金礼当世具写にもたまげますが、
歴代将軍の真筆、
吉宗の画「恵比寿」、
綱吉の画「鶏」、
慶喜の書「光風霽月」に驚かされます。
狩野探幽の壁画にもびっくりですよ。
・・・大迫力。
本殿の裏をぐるっと回り込み、
再び拝殿の正面に戻ります。
これはまさに「金色堂」・・・。
でも長年の風雨で金箔がハゲっちょろけです。
勿体無いですよ。
もっとちゃんと保存しましょーや。
拝殿・本殿内で禁止されていた写真撮影。
拝殿正面で「二拝二拍一拝」していると
ひらりと、御簾が捲れ、
後水尾天皇真筆の純金の「東照宮」をパシャリ。
神社仏閣をお参りしていると、
自称・左甚五郎作の作品には、
何度も遭遇します。
特に「夜荒らしの馬」には何頭も遭いましたが、
「?」なものが多いです。
しかしこちらの「左甚五郎」さんの、
「昇り竜」「降り竜」は、
将軍家御用達の本物です。
こいつらは不忍池によく水を飲みに出かけるそうです。
とにかく、こちらのお宝は凄いです。
明治に「国宝」になったものの、
昭和25年(1950)の、
文化財保護法施行により
「重要文化財」にまるで格落ちしちゃいましたが、
是非また一部を「国宝」にしてしていただきたい。
だってここ、管理がいい加減なんだもん・・・。