国指定史跡 足利氏宅跡
宗派 真言宗大日派 本山
本尊 大日如来
326-0803 足利市家富町2220
休館日の足利学校を外から眺めた後、
あまり予備知識のなかった、
足利氏宅跡として国指定史跡でもある、
鑁阿寺(ばんなじ)を訪れました。
昭和二十六年(1951)真言宗豊山派から独立し、
真言宗大日派の本山となっているようです。
この反橋・楼門は永禄七年(1564)の再建。
足利学校と同様に周囲は堀に囲まれて、
これ、まんま、城郭やんか。
実は日本100名城の15番でもあるらしい。
楼門の仁王尊は、伝・運慶作とも言われているそうですが、
明らかに、運慶さんの作品ではないお顔でございます。
楼門をくぐり、境内に入ると、
この伽藍の素晴らしさに、圧巻。
この鐘楼は建久七年(1196)の建立。
もちろん国指定の重文。
梵鐘は元禄年間の再建ですが、
先の大戦の供出は逃れました。
すでに江戸時代に大木であったという、
縁結びの象徴の大銀杏。
大木のある古寺はやっぱいいね!。
この多宝塔(塔婆)は寛永六年(1629)の再建。
日本一大きな多宝塔とか。
ただしこれ以上大きなものは「大塔」というだけです。
これまた国指定重文の、
正安元年(1299)建立の大御堂(本堂)。
残念ながらご本尊の大日如来は秘仏のようです。
中御堂(不動堂)は、
文禄元年(1592)の再修。
本堂が旧・国宝に指定されるまでは、
廊下でつながっていたそうです。
ご本尊は成田山の勧請で、
伝・興教大師覚鑁作。
これは秘仏ではなくしっかりと拝しました。
三つ目の重文、経堂です。
中にあった古文書ももちろん重文。
応永十四年(1407)の再建。
宝永年間に大修繕をしているらしい。
赤御堂ともよばれる御霊屋。
本殿に源氏の祖を祀り、
拝殿に足利十五代将軍を祀っているとか。
本殿の裏には、
足利義国・足利義康の墓があります。
現在、大酉堂(おとり様)とされるこちらは、
元は足利尊氏の公木像を祀った公霊屋だったもの。
明治の皇国史観により尊氏は逆賊となった為、
尊氏像を本坊に移し、大酉大権現を祀りました。
この校倉は宝暦二年(1764)の再修。
多くの寺宝を守り抜きました。
東西の東門・西門は、
同じ永享四年(1432)に建立された同じ形式。
扉がないけど、城郭としてはどうなんだろう。
いやいや、なかなか見応えのあるお寺です。
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