成田山 明王院 神護新勝寺 その三 〜 大厄(前厄)厄除・お寺編 〜 

宗派 真言宗智山派 大本山 
本尊 不動明王
286-0023 成田市成田1
公式サイト http://www.naritasan.or.jp/




成田山 新勝寺 → その一その二
→ 「成田山」関連の記事




私は元々「無宗教無神論者」でありましたが、
御府内八十八ヶ所など、
様々な神社仏閣詣を重ね、
「多宗教・多神論者」となった「お参ラー」です。
氏神産土神に、厄除け参りをしたのであれば、
やはり仏様にもお参りしたい。
さて、どちらのお寺にお参りしましょうか。
私は酉年生まれなので、
生まれ歳の守り本尊は不動明王尊です。
そして、千葉県民であれば、
やはりここにお参りしましょう。
初詣で日本一の参拝者数を誇る寺院、
成田不動こと、成田山新勝寺です。




成田山表参道




年が明けてもう十日を過ぎますが、
まだまだ多くの人出で賑わう成田山の表参道。
すげぇーなぁ。
色んな方言が聞こえてきます。




薬師堂




駅から表参道のちょうど中間ほどにある薬師堂です。
お参りしている人はほとんどいませんが、
ここは新勝寺の飛び地境内で、
このお堂は明暦元年(1655)に建立された、
三代前の本堂なのです。
安政二年(1855)にここに移転されました。
成田山最古の建造物でもあるので、
必ずここにもお参りすることをお勧めします。




総門




昨年、開山1070年を記念して建立された、
まだ白木の真新しい総門です。
十六体の獅子頭と十二支の蟇股によって結界が張られ、
この門の楼上には、
生まれ歳の守り本尊の八体仏が奉安されているのだとか。




成田山金剛王院新勝寺?



去年は気付きませんでしたが、
この総門の向かって右にある、
この山号院号・寺号碑が刻れた碑には、
成田山金剛王院新勝寺」と記されています。
あれ!?。成田山の正式名称は、
この記事のタイトル通り、
成田山明王院神護新勝寺」であったはず・・・。




高雄山神護寺護摩堂の本尊であった、
弘法大師空海が敬刻開眼したという不動明王像を、
平将門の乱平定の為、
朱雀天皇より密勅を受けた寛朝大僧正が、
難波の津の港(現・大阪府)から海路を、
尾垂ヶ浜(現・横芝光町)に上陸させ、
成田の地に祀り、乱平定の為護摩を奉修しますが、
乱の平定後も、不動明王像の自らのご意思により、
この地に留まったというのが、このお寺の起源です。
明治までご本尊の借り賃を、
神護寺に支払っていたという説もありますが、
成田山の広報はこの説をあまり公にしていません。
ですから寺号から、
「神護」を外したいという意味合いは分かりますが、
明王院」が「金剛王院」に院号が変わる意味が分からない。
いったい、正しい正式名称はどちらなのか・・・。
お寺に直接聞いても、
おそらくあやふやにされてしまうでしょう。
数年前にご本尊の不動明王がなぜ、
「国指定重要文化財鎌倉時代作)」
なのかと質問した時もそうでした。
そんなこたぁ〜、どうでもいいか。あはは。



仁王門




さて、急な石段を上がり、
その中央仁王池の手前に、仁王門。
国指定重要文化財に登録されています。
天保二年(1831)の再建です。
四天王ではなくて、
正面左右に密迹金剛、那羅延金剛、
その裏側に広目天多聞天が祀られています。
大提灯は重さ800kgなんだとか。




三重塔




石段を上がりきると右側には、
やはり国指定重要文化財の三重塔。
正徳二年(1712)の建立で、
周囲に十六羅漢の彫刻が施され、
塔内には五智如来が祀られています。
煌びやかでありながら、
荘厳で美しい塔です。




一切経蔵と鐘楼




三重塔の手前には、一切経蔵と鐘楼があります。
これは市指定文化財ですが、
私が子供の頃は、一回転させれば、
一切経の全部を読誦したのと、
同様の利益があるといわれる台を廻せました。
今は文化財保護の為、立ち入りが出来ません。




大本堂




さて、昭和四十三年(1968)建立の、
この巨大な鉄筋コンクリートの大本堂。
まずは午後一時からの、
新春特別御護摩祈祷に詣でます。




鐘を鳴らしてお知らせ




大本堂内は、すげぇー、人・人・人・・・。
座る場所すらなくどうにか四人で隅に立ちます。
鐘が鳴るとお坊さんがぞろぞろと、
まるでアリーナに向けて入場するボクサーのように、
堂内にお入りになります。





偉いお坊さんが入堂




最も偉いお坊さんは、
いつも赤い傘の下なのですぐに分かります。
なんだか、わくわくしてしまう私です。
大本堂内は撮影禁止なので、
写真はありませんが、
太鼓の音に響く、護摩の火に揺れる、
お経はなんとも心が洗われます。
やっぱ、いいね。
まるで、大好きなアーティストのコンサートで、
歌詞を口ずさむファンのように、
般若心経と不動明王真言を唱える私です。




釈迦堂




さて、今日の目的「開運厄除御祓」は、
この大本堂ではなく、その左手にある、
安政五年(1858)建立の、
前本堂である釈迦堂で行われています。
本尊は歴史のありそうな釈迦如来像、
脇侍は新しい文殊菩薩普賢菩薩
千手観世音も祀られていました。
30分置きに行われているようですが、
全員の名前の後に、
大本堂のお経とほぼ同様の読経がありました。
この回、ざっと約二百人、
全員が最低の初穂料の七千円でも、
え゛、140万円・・・・。
・・・などと、俗なことを考えていると、
数珠の中で合わせた手を、
上から何かがギュっと押えます。(本当)




・・・どうもすみませんでした。(汗)




光明堂




大本堂裏手の階段を上がると、
釈迦堂のさらにその前の旧本堂の光明堂。
元禄十四年(1701)建立で、
本尊は密教の教主でもあり、
不動明王の本当の姿でもある、
大日如来が奉安されています。




開山堂




光明堂の向かって右手前にある、
この開山堂は実はあまり古いものではなく、
昭和十三年(1938)の建立。
開山の寛朝大僧正像を祀ったお堂で、
歴代先師の御影も掲げられているのだとか。



額堂




その向かい側、光明堂の向かって左にあるのは、
国指定重要文化財の額堂。
文久元年(1861)の建立で、
信徒から奉納された額や絵馬が懸けられています。
これが一つ一つ眺めると、
とても皆個性的で皆面白い。
まさに庶民の祈りの歴史、そのものなんです。




平和大塔と清瀧権現堂




成田山の鎮守であるという、
光明堂の右後ろにある清瀧権現です。
妙見様も祀られているそうです。。
この権現様越しに、
昭和五十九年(1984)建立の平和大塔を拝み、
もうお腹がペコペコになったので、
そろそろお暇致します。




大師堂




この時季、境内が混み合うので
一通で元の参道には戻れず、
光輪閣の横を過ぎ、
明治二十一年(1888)再建、
平成十八年にこの地へ移転された、
大師堂の横を通り、
成田山をあとにしました。




戴いた御札と御供物と御神酒




戴いた御札と御供物と御神酒です。




私のお札コーナー



我が家のダイニングの角の、
カウンターの左側には、
私の書斎コーナーがあり、
PCもそこにあって、
今もそこでこれを入力している訳ですが、
その上の、お札コーナーに、
昨日の二宮神社のお札に並べ、
今日の成田山のお札を掲げました。




江戸時代に記された、
成田参詣記という書物にも、
成田山に参る途中、
二宮神社に詣でたという記述もありますから、
先人の例の順序を真似た形になった訳です。




さて今年は大厄の前厄ですから、
本厄・後厄と、、、
また来年・再来年と伺う予定です。




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