宗派 臨済宗大徳寺派
本尊 阿弥陀如来
271-0051 松戸市馬橋2547
公式サイト http://www.manmanji.or.jp/
お次は臨済宗の「法王山・万満寺」。
やはり松戸を代表する有名な古刹です。
さて、こちらの御由緒。
建長八年(1256)下総国守護職の千葉介頼胤が、
後に鎌倉・極楽寺を開山する忍性良観を招いて、
ここに真言律宗の「大日寺」を建立します。
室町時代に入り三代足利義満の頃、
関東公方の足利氏満は謀反を企てて、
幕府と鎌倉は緊張状態になりました。
氏満は臨済宗の高僧・夢窓国師の高弟、
古天周誓を使者として幕府との和睦を図り、
功のあった古天の為に、氏満は堂宇を整備して、
将軍「義満」と自身の名「氏満」の双方の満をとって、
康暦元年(1379)に寺号を「萬満寺」と改称して、
この際に臨済宗に改宗されました。
→ 【坂東番外】【秩父番外】定額山 善光寺 (信州善光寺) - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地
→ 「房総の仏像・仏画〜千葉県の指定文化財展〜」千葉県立中央博物館 その二 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地
この通りこのブログに何度か登場しているものの、
実は初めてお会いした万満寺の仁王様、
国指定重要文化財・木造金剛力士像。
運慶作とも言われており、
黒塗りの寄木造りで、本堂安置の不動明王と同様に、
北条時宗が鎌倉稲村山に安置し、忍性が蒙古降伏を祈願し、
この後に千葉頼胤により当地へ請されたとされています。
大正五年(1916)東京美術大学(現・東京芸術大学)の教授だった高村光雲の推薦で、
当時の国宝(現・重文)に指定されました。
光雲が長野の善光寺の仁王尊製作の際にこれを手本としたことは有名です。
また無病息災を祈願する『仁王の股くぐり』でも有名で、
正月三が日と春・秋期大祭の御開帳では、
この阿形(右)の股をくぐらせてもらえるそうです。
重文仏像に直接手を触れることだけでも貴重なのに、
「股くぐり」なんて夢のよう。(゚∀゚)イイネ!!
仏ヲタとしては是非、一度伺いたい。
天文六年(1537)大徳寺九十六世・謹甫宗貞に帰依した小金城主・高城胤吉は、
謹甫を迎えるために伽藍を復興し、七百石を寄進して大徳寺派となりました。
江戸期には幕府より七十石の寺領を受ける朱印寺となりますが、
本土寺と同様に明治維新の廃仏毀釈、
また明治四十一年(1908)には常磐線の汽車の煙火により、
伽藍や仏像、数多くの寺宝を灰燼と化しました。
現在の本堂は昭和六十二年(1987)の建立です。
元は真言宗だったこともあるのか、
境内には弘法大師空海を祀る大師堂がありました。
手水鉢の前の石造不動三尊。
本堂の中気除け不動明王を写して、
自然石に彫られたお不動様と両童子。
万満寺のお隣には、
やはり明治維新の神仏分離で分けられた、
「馬橋王子神社」があります。
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