廃止される日比谷公園のとある公共施設について

100-0012 千代田区日比谷公園




→ 「日比谷公園」関連の記事




さて、始めに断っておきますが、
今日のこの記事は大変特殊な世界を書く為に、
他の目的で検索されることを避けたいので、
伏字や遠まわしな表現を多く使います。
またその反響によっては、たとえコメントがあっても、
この日付ごと削除することをお許しください。
そして出来れば18歳未満は、今日は、
なるべく読まないようにお願いします。(笑)




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さて、かつて司馬遼太郎は、
その著書の中でこう言いました。




東邦大学の司馬遼太郎碑   

「かつて存在せしものは
時代の価値観をこえて保存し、
      記念すべきものである。
それが 文明というものである」

          司馬遼太郎


まったく私も同感であり、
史跡は出来る限り保存することが、
これ人類の文明の証そのものであると思います。




さて、しかし、今、
ここ日比谷に大正時代から存在し、
かの三島由紀夫が呼称を命名したという、
長い歴史のある風俗・民俗に関わった施設が廃止されました。
しかしこれは絶対に報道されることはありませんし、
たとえ司馬の言葉に賛同する私も、
この廃止には反対致しません。




日比谷交差点




私が日比谷の事業所に勤め、
もうすぐ通算10年近くになります。
日比谷にある程度勤めていれば、
皆、噂話でこの施設の存在を知ることになります。




この問題の施設があるのは、
日比谷公園の北東の隅、
地下鉄の出入口をはさみ、
丸の内警察署日比谷公園前交番の先隣です。
ここには、その内部とその外周に、
毎日24時間、一年365日、
暑い日も寒い日も、雨の日も雪の日も、
男達が、うろうろと何人も集い、屯っております。
ここの噂を聞かず、何も知らずに、
本来の目的でこの施設に飛び込めば、
彼等の異常な反応に驚くことになります。




そう、ここは、所謂「衆」の「道」、
つまり男性同士の出会いを求める場所なのです。
興味本位で調べてみたところ、
交番が隣にあることで、
からかう人々、諌める人々に絡まれぬ様、
大正時代からここに発生しており、
三島由紀夫は、その関係の「発展」をカタカナにし、
「ハッ●ンバ」と名付けたとか・・・。




なんとも恐ろしい世界ですが、
そのスジの趣味のまったくない我々にとって、
これはまったくの未知の世界。
よく飲み屋の帰り道、酔っ払っては、
じゃんけんの罰ゲームとして、
潜入や、調査をしたものです。




どうやらここで出会って、
ブロックサイン等で「発展」したカップルは、
ある程度の距離を保ち、
近隣の他の同様の施設の個室に移動し、
互いの想いを果たすようで・・・。




貼紙



要するにこれが、大変迷惑で、
近隣のビル内の同施設や、
今回ここと同時に廃止になる施設には、
皆、このような貼紙があるのです・・・。




私も数年前のこと、
有楽町のとあるビルの個室を、
本来の目的でお借りしていると、
お隣の個室から二人の荒い息遣いが聞こえました。



おおっ〜怖ぁ〜・・・。
思わずビビッて逃げ出したものです。




立て看板




この「適正配置」って、
表現はとても苦しくて笑っちゃいますが、
要するに、様々な方面から、
おそらく実に多くの苦情、諫言により、
今回のこの廃止となったようですね。
そりゃそうですよ・・・。
正直、気持ち悪いですもん。
・・・迷惑であることは確かです。




この施設が廃止と聞いて、
ついつい、冒頭の司馬の言葉を思い出し、
「歴史ブログ」として、
ここに記事にしてしまいました。




かつて、酔っ払っての罰ゲームとはいえ、
この施設内で突然ズボンを足首まで下げ、
そのまま交番前まで行進した、
あのグッサンの勇気ある行動は、
今も私のまぶたに深く焼き付いております。




ただし、本人にその時の記憶はありません。





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