能勢妙見山 東京別院 〜勝海舟像 その二〜

宗派 日蓮宗
別院本尊 北辰妙見大菩薩
130-0004 墨田区本所4-6-14



→ 勝海舟像 その一




夜は錦糸町のホテルで、
大きな会合の予定があったので、
なんとなく、午後一番で南砂町の休眠顧客を訪問。
そしてそのまま両国へ出て、
ターゲットの企業を訪問し、
まだまだ時間はあったんですが、
ずっと気になっていた、
錦糸町近くのこちらに初めてお参りしてみました。




能勢妙見山東京別院山門





子母澤寛の小説では、
勝海舟こと幼き勝麟太郎が九つの時、
狂犬に襲われ、睾丸の片方を食いちぎられ、
医師さえ諦めた、生死を彷徨う息子を、
父、勝小吉が能勢妙見堂で水垢離をして祈り、
三日三晩抱きしめて、
体温を上げ続けて、どうにか助けたとあります。





能勢妙見山東京別院





これによってか、こちらの縁起にも、
「江戸末期幕臣勝小吉ガ愛息麟太郎海舟ノ開運出世ヲ(行)ヲ取ッテ日参祈願」
と、ありますが、私はどうもあやしくおもっております。
小吉本人の著「夢酔独言」には、
「其晩から水をあびて、金比羅へ毎晩はだか参りをして祈った」
とあり、まったく「妙見」という表現は無いのです。





そもそもこちらは大阪府能勢妙見山の唯一の東京別院
ここは摂津国領主の旗本・能勢家の下屋敷跡であり、
今もこちらは能勢家の子孫により祀られているのだとか。




勝海舟胸像





勝海舟妙見菩薩を信仰していたという形跡はあるので、
どこかで混同してしまったのか・・・・
しかし吉川英治が、宮本武蔵の歴史を創作したかのように、
子母澤も新選組勝海舟の歴史を創作しているのか。
ここには勝海舟の最古の銅像である、胸像があります。







鷗稲荷水神堂







この鷗稲荷も、この水神も、
やはり能勢家の縁のもの。
お稲荷さんは神田佐久間町上屋敷にあったものが、
明治の初めにこちらに遷座されました。





なんだかとても神社っぽい本堂を前にして、
ついついぼーっと、神社と間違えて、
二拝二拍一拝してしまった私です。(恥)






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