「龍馬の黒幕〜明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン〜」


日比谷から事業所が移転して、
無償の早出Dayは金曜日と変わりました。
早朝、眠い目をこすりながら、
この日本橋の事業所内を巡回していると、
突然「殿」からの直電がブルブル。
いぶかしげに携帯に出れば、
いきなりの怒鳴り声。




どうやら先日案じていた、
私が担当する得意先に対しの、
他の事業部がやらかした不始末が、
今朝、殿にバレたようです。
いやあたしゃ、あんまり関係ないものの、
殿とは数日前から何度も私と会っているのに、
私からなぜこの報告がなかったのかと、
激昂する殿です。




だって私はその立場でもなく、
はっきり言えば、おまけのようなもの。
しかしどうやらこの隠蔽には、
筆頭家老や次席家老が動いていた様子。




言い訳が通用しません。
ただただ、頭を下げ、
私が速攻でアポを取り、
殿とその事業部一行と待ち合わせて、
先方へのお詫びを終えると、
殿の興奮も収まった様子です。




しかし、あたしゃ、
本当に疲れてしまいました。




さて、これとは、
規模は違えども、
やはり歴史は常に権力者と、
その周辺のエージェントにより動くもの。









この本は、明治維新の黒幕は、
フリーメイソンであり、
坂本龍馬もその歯車の一つに過ぎないという説です。




著者の加治将氏は、自己の歴史観に、
かなり自信を持ってこの本を書きました。




その証拠に、この本の文頭は、
こんなエピソードから始まります。



「驚くべきことに、
江戸の町にはゴミひとつ落ちていなかった。
日本人はマナーが良い。」
これは当時、江戸を見学した外国人の手紙だ。
これを引き合いにして
「当時は清潔で、文化程度が高かった」
とテレビで歴史の先生が解説していたのを聞いて、
仰天したものである。
考えていただきたい。
ゴミというのは紙屑、空き缶、空き瓶のたぐいだ。
捨てるものすらない貧しい暮らしだった。
だからゴミひとつ落ちていなかっただけの話である。
物資の多いヨーロッパとは違うのだ。

そう、これがこの著者の歴史観




・・・いや、ちょっと待った。
缶は19世紀末の発明、
瓶だって一般に普及したのは、
そのちょっと前に過ぎません。
また江戸時代、紙屑屋という、
職業が存在した以上、
紙屑は実際にあり、
すでにリサイクル業者があったとういう事実。
そしてなによりも、
この手紙が伝えたかった事実は、
ヨーロッパの街角に多くあった、
路上に散らばる糞尿が、
江戸の町になかったという事実のはずです。
これも確かに糞尿を「肥料」として利用していた日本と、
そうではなかったヨーロッパを一概に比較することは出来ませんが、
この著者の主張とはかなり異なる意味合いとなるはずです。




まあしかし、本は実際、
面白かったけどね。



でもフリーメイソンにそんなに友愛の強大な力があるのなら、
二度の不幸なあの世界大戦はありえなかったと思うんです。




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