祭神 天津彦火邇々杵尊・平将門
102-0073 千代田区九段北1-14-21
これはけして冗談ではなく、
会議の為の、会議の為の、会議が行われることもある、
エキセントリックカンパニーな弊社です。
今日月例で行われる営業報告会議は、
元々は御前会議のプレ会議だったはずです。
現在はその御前会議が廃止されてからも、
なぜか毎月同様に行われています。(汗)
ここ数ヶ月、この報告会を、
病欠等でバックレていた私ですが、
ついに今月は捕まってしまいました。
旧日比谷動物園側からは私が唯一の出席です・・・。
先週からその報告の資料作成に追われました。
どうにか無事にその会議を終えると、
夕方はまた今日も飯田橋でのプロジェクト・・・。
九段下の顧客との打ち合わせをはさみ、
そのまま徒歩で早稲田通りを北上し、
飯田橋駅方面へと向かいます。
飯田橋の事業所に所属していた頃には、
ここ九段はテリトリーの一部でした。
当時は何の興味もなかった、
中坂にあるこちらの神社にお参りしました。
昔はこんなビルに埋もれていたという記憶はありません。
現在はこんな鉄筋コンクリートの造りですが、
元々は平将門を祀ったという築土神社です。
ビルの下を抜けると、
拝殿・本殿へと抜け出ます。
地元の学生が地下鉄の駅への、
抜け道としているようです。
これらの記事と同様、
元々は現在の将門首塚のある、
ビジネス街・大手町、
当時の津久戸村にあったという、
将門の頭髪や首を祀っていたものが、
ここに近い九段坂上に移転し、
「田安明神」として祀られていたそうです。
社宝はその首を納めていたという桶だったとか。
元和二年(1616)に神楽坂近くへと移転し、
筑土八幡神社の隣り、築土明神となりました。
明治維新とともに将門は逆臣に戻り、
明治七年(1874)、天孫降臨の主人公、
ニニギこと天津彦火邇々杵尊を主祭神に代え、
現在と同じ「築土神社」へ改称します。
約300年、先の大戦での社宝の焼失まで、
筑土八幡神社の隣に鎮座しましたが、
戦後、元の地に近いという現在の地へと移転しました。
それが今日のこちらなのです。
安永九年(1790)に奉納されたという、
千代田区内最古の狛犬はこの通り重鎮な佇まい。
やはり最近のものとは比較しようもありません。
靖国通り側から望む、
拝殿裏の本殿もやはり鉄筋コンクリート。
「笑う門には福来る」か・・・。
狛犬のこの満面の笑顔に勇気をもらいました。
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