祭神 岩筒雄命、赤城姫命
162-0817 新宿区赤城元町1-10
公式サイト http://www.akagi-jinja.jp/
午後は神楽坂の企業に訪問しました。
何度か書いております通り、
神楽坂は学卒で就職して、
最初に配属となった事業所のあった地で、
新婚時代に暮らした思い出の街です。
その頃に、よく散歩がてら、
お参りした赤城神社の前を通ると、
目を疑ってしまうこの光景・・・。
あの独特の雰囲気があった参道には、
重機が激しい工事をしています。
左側に仮の参拝所が設けられ、
マンションの宣伝とともに、
「赤城神社再生計画」という説明が書かれています。
「仮殿参拝には左手より。」という案内を見て、
元の西参道であった石段の下に出ました。
なるほどこれでは車椅子等の参拝は不可能。
表参道に仮の参拝所があった訳です。
なんとも味気のないプレハブの仮殿。
その右手では、マンションに抱合される、
新社殿が鉄筋で建設されています。
70年の定期借地権物件で。
2082年にはまた神社のみに戻されるとか。
なんとも気の長いお話で・・・。
出産時、母・イザナミの陰部に火傷を負わせ、
後に、死に至らしめてしまう火の神カグツチ。
それに怒った父・イザナギに、
殺された子・カグツチの血から、
いくつかの神が生まれますが、
この主祭神「岩筒雄命」もその一柱で、
香取神宮の祭神「経津主神」の御親神ともいわれています。
合殿は大胡氏の息女ともいわれている赤城姫命。
この赤城山の豪族、大胡彦太郎重治が
牛込に移住した際に本国の鎮守を御分霊したのがこちらの創祀なんです。
そもそもは今の早稲田鶴巻町辺りにあったそうですが、
寛正元年(1460)に太田道潅が牛込見付附近に遷し、
更に弘治元年(1555)に、牛込氏が現在の場所に遷しました。
この牛込氏は、大胡氏の後裔にあたるとか。
天和3年(1683)に幕府はこれを江戸大社の一つとし、
牛込総鎮守してあの日枝神社や神田明神と同格となりますが、
明治六年(1873)には「郷社」に降格。
また天保十三年(1842)の出火で全焼しするものの、
その後すぐに復興された神殿も、
昭和二十年(1945)の戦災により焼失。
先日まであった本殿は昭和二十六年(1951)、
拝殿、幣殿は昭和三十四年(1961)の建立でした。
いずれにしても、マンションと一緒になるという、
今回ほどの変化は、ご祭神もびっくりのことでしょう。
まあ、神代にはとってたった70年のことですが・・・。
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