西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

堀川戎神社

祭神 蛭児(蛭子)大神・少彦名命天太玉命 
530-0047 大阪市北区西天満5-4-17 
公式サイト http://www.horikawa-ebisu.or.jp/



→ 今宮戎神社




堀川戎神社  境内



成正寺さんから梅田方面に戻ろうと路地を歩いていると、
堀川戎神社さんに行き当たりました。
十日戎が有名な「堀川のえべっさん」と呼ばれているお宮ですね。
前回お参りした今宮戎神社兵庫県の西宮戎神社と並んで、
三大戎とも呼ばれている有名な神社です。
創建は欽明天皇の治世(539-571)、
止美連吉雄という方が、
蛭子大神の神託を受け、
堀江で玉を得てこれを御霊代に、
蛭子大神を富島に祀り、
瓊見社・止美社と名付けたのが、
ここの創祀と伝えられています。
白雉二年(651)に少彦名命の神像を彫刻し祀り、
大宝三年(703)に天太玉命を相殿に祀って、
現在の御祭神三座となりました。
平治の乱(1159)では戦乱を避け、
丹波国の山家に動座したものの、
文和年間(1352-1355)に現在地に遷座したとか。



拝殿  福興戎像




ご近所の成正寺同様に、
やはり昭和二十年(1945)空襲により灰燼に帰し、
現在の社殿は昭和三十八年の再建です。
拝殿の左側にこの「福興戎像」。
これは阪神淡路大震災で破断した、
昭和二年奉納の表門石造鳥居の、
柱材に彫刻したものなんだそうです。



摂社と末社  榎木神社【地車(だんじり)稲荷神社】




境内右側に立ち並ぶ摂社と末社
北東にある祠は榎木神社という境内社で、
通称・地車だんじり)稲荷神社とも呼ばれています。
慶長三年(1598)に掘られた、
天満堀川の堀止めに榎の大木があって、
人々はその根元に祠を作って、
稲荷神・宇賀御魂神を信仰しました。
天保九年(1838)堀止めだった天満堀川が、
淀川まで延長して通水した際に、
榎木神社設立の命令が下り、
天保十年(1839)に社殿が造営され
同時に堀川戎神社末社稲生神社の別魂を合祀して、
稲生神社別魂榎木神社となりました。
明治四十年(1907)の神社合併政策により、
ここ堀川戎神社境内に移転。
やはり昭和二十年(1945)に戦災で焼失しますが、
昭和三十三年(1958)に現在地にこの地車構造の、
彩色欅造りの本殿が建立されたとか。