彰孝館徳川博物館分館 西山荘

国指定史跡 西山御殿跡
国指定名勝 西山御殿跡
財団法人水府明徳会   
313-0007 常陸太田市新宿町590
公式サイト http://tokugawa.gr.jp/seizansou_info.htm





佐竹寺を目指す道のり、
あまりに多く、この「西山荘」の案内があったので、
気になってしまってやって来ました。



→ 記事一覧 - 元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】
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要するにこの通り、このブログにも度々登場する、
水戸徳川家二代、徳川光圀こと水戸黄門が、
隠居の後の、元禄四年(1691)から、
元禄十三年(1700)に亡くなるまで、
十年間過ごされた「西山御殿」なのです。




西山荘入口




窓口で大人一人、中学生一人といったら、
なんと1260円・・・、意外に高い入場料に涙。
・・・って、今公式サイトで確認すると、
「大人630円、小中学生420円」。
おいおい、長男を高校生と思ったか、大人で計算しているじゃんか・・・。
・・・もう。




西山荘玄関




現在この西山御殿、西山荘は、
約四十二坪(139?)ですが、
元はこの三倍の規模があったそうです。



西山荘



ただし、この通り、
俗にあのTBSドラマでは、
"先の天下の副将軍"ともされる、
あの水戸黄門様としましては、
意外に質実で簡素な建物です。



西山荘と長男



実際には諸国漫遊はなく、
水戸と江戸の往復や、
その道すがらの伝説は多くありますが、
ほとんどここで、後に「大日本史」と命名される、
修史編纂に勤しんでいたようです。
自身も田を耕して、年貢を納め、
領民との隔たりのない親交を重ねられたそうですが、
私はちょっと幕府に対する、
政治的なパフォーマンスの"匂い"を感じてしまいます。




西山守護宅前の長男



西山御殿を守護する為に武士が詰めた西山守護宅。
今はここに様々な資料を陳列して博物館的役割となっておりますが、
現代でいうところの、ただ守衛所のはずのこちらです。
あまり主のいる母屋との"造り"の差が感じられません。
いや、こっちの方が立派かも。(汗)




西山荘とサルスベリ




百日紅(サルスベリ)が見ごろです。
西山荘は、光圀没後も歴代藩主により大事に保存されますが、
残念ながら文化十四年(1817)野火によって焼失してしまいました。
現存の建物はその二年後の文政二年(1819)に、
八代藩主・徳川齊脩によって、規模を縮小して再建されたものです。




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